
自分のアーティクル、つまり「記事」を投稿するサイト■ヴァイラル・アーティクル■にも投稿を開始しました。さまざまなアーティクルを自分のものにすることができる、画期的なサイトです。
当然、これからの有望株。
それが、ヴァイラル・アーティクルです。こちらから・・・http://www.viralarticle.com/
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今度は、「エキサイト!こころ」を開設しました。こころ、教育、学ぶことに関心を持ち、そして発言している各サイトもどしどし紹介していきます。ワクワクドキドキの記事をお楽しみに。 http://kokoro-juku.com/excite/
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こころ塾メンタルフロンティアがついに登場します。
こころのケア専門の保健師兼カウンセラーが20年上の経験を生かしてここ山梨県で活躍しています。
すでに民間企業のこころの相談や健康指導を精力的に行っており、ネットでのカウンセリングで悩んでおられる方へのサポートもしていこうと思います。
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■■朝日新聞に取り上げられました。
「学ぶ」姿勢が造るブログでいきたいと思います■■
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国語《現代文》問題の科学的解き方・書き方読本
を発表しました。
こちらを見てください。
■高校入試で問われていることを分析
■読解の大原則
■論理的文章の解読
■文学的文章の解読
■詩的文章の解読
■楽勝!敬語
■体系国文法
■設問の解き方ノウハウ
■作文・小論文の極意
さらに、
■高校入試問題の徹底分析!
あるソースをもとに独自分析したのもです。
詳細はhttp://kokoro-juku.com/gendaibunkyouzai.html
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では、では、
きよさと子どもの家も、子どもたちを大学まで送り出すまでに成長しました。
平均点くらいしかとれなかった生徒も、トップクラスまで這い上がり、自分がやりたいことができる大学に行けるまでになりました。
下には、中学受験や高校受験を控えている子どもたちがたくさんいますが、いずれにしても子どもが伸びるキーには共通点があります。
そろばん。
これがいつもあります。
これでずいぶん成長しました。
宿題をちゃんとするとか、授業をまじめに受けるとか、そんなこと以前の問題に気づいているでしょうか。
そろばんは、この「以前の問題」を解決してくれます。
そう、実はもうひとつあります。
私と子どもたちのお互いの切磋琢磨なんです。
やる時はやる。
いっしょに決めたことをする。
その姿勢というか、態度にあります。
習慣になっていることの大切さなんです。お互いに決まりをもうけ、子どもたちによって自分で判断しながら行動する力です。
宿題。
そろばん。
それらを通して、自己決定できる力を養っているのです。そろばんの量にノルマはありません。やる時はやる!という習慣から自分の責任においてするんです。
これが私たち大人にとっても第2に大事なことです。
第1はそろばんによる「わかる」プロセスにあるんですが。これはメルマガで紹介していますので、そちらを見てください。
責任を持って行動する。自分のことは自分で決定する。
そのようなことが身に付いていれば、「宿題をやりなさい」「いつまでゲームをやっているの!」と言われながら、でもやらないってことはないはずです。
やらなくても良い、やらなくてもそれで済んでしまう。
そんな環境があるから、やろうとしないことも一理でしょうが、子どもに動機づけるものがなにもないことに問題があると思います。
がんばれ!
と言う時に、がんばれる子どもを元気づける大人がそこにいなくちゃ!子どもを認める親でなくちゃ!
これは、勉強ができるとか、できないという問題ではなくて、自分のことを責任を持って行動できる子になることへのまなざしだと思っています。
子どもには信頼されている安心感と自分を肯定する大人の存在があってこそ、自分を出し切れるんだと思うんです。
もっと広く学ぶことを考えるためにホームページを切り離しました。
★「わかる」ことを考える。・・・この言葉って、私にとっていつもわたしを悩ませてくれる言葉です。元気ができこともありますし、ダメかぁなんてときもありますが、より具体的、より深く「わかる」を追求していくんです。
★教育を考える。
★算数、数学を考える。
★受験を考える。
★そろばんを考える。
ための新規サイトです。
ここまで公開するか!!!どうぞ見てください。題して、標高日本一のこころ塾 http://kokoro-juku.com/ です。
そろばんは、右脳を刺激することはよく知られていることです。
そのそろばんが、自己決定の下地になっていることを今後とも、このこころ塾サイトとともにきよさと子どもの家サイトで紹介していきたいと思います。
●標高日本一のこころ塾 → こちら http://kokoro-juku.com/
●きよさと子どもの家 → こちら htt://homepage2.nifty.com/childmicky/
●マイ ブログ → このサイトです
私たちのプロフィールはこちらを見てください。 → こちら
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夏休みに入って、受検生の学習時間はどうなったのだろう?
増えているのかな?
塾に行ったところで、受け身の学習では核心をつかむことはできない。
もちろん短期間で身に付く学力なんてあるわけがない。
塾にお金を捨てるくらいなら、ましな使い方を考えなければならない。
ましてや、中学生しか教えられない塾では、学問の統一体系を教えることなんてムリだ。
子ども達の学習成果を見ていると、気になることがある。
それは、
「わかる」
というときの、ジャンプアップである。
これは量的変換から質的変換に切り替わった瞬間でもある。
質的変換は、量の蓄積がなければ実現しない。
<だから、短期間塾に通ってもムリなのだ>
量自体の質の問題もあるが、その子に適した成長のための量が必要だ。
実は、量は別のものに置き換えることができる。
それはなにか?
「わかる」ことを突き詰めていけば、結論は出てくるが、それは「人」の成長によく似ている。
清里図書館
http://kokoro-juku.com/library.html
に「わかる」情報をアップしていこうと思う。
これだけ理解しただけでも、学習のコツはつかめる。
要は、自分を見つめることができるから。
ところで、地元の子ども達のために、準2級英検に受かるテキストを頒布したところ、ものすごい反響があった。
秋には準2級に合格して、高校入試に有利な状況におくことができるからだ。
これは、準2級に特化した解き方を詳細に書いているし、これだけマスターすれば、準2はクリアできるようにしている。
2級への挑戦もできるだろう。
実は、この準2。
中学1年生がたった1年の学習で英検3級まで合格した学習プロセスを参考にして、準2対策として考えたものだ。
だから、実戦向きである。
英語があまりわからなくても、大筋で理解しながら合格するためのテキストなのである。
ネットでも紹介するつもり。
興味ある方は、清里図書館の会員登録をしておけば情報を直メールでお知らせできる。
お楽しみに!
清里図書館
http://kokoro-juku.com/library.html
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全日空胴体着陸トラブルに関しては、いろいろな意見、感想などが飛びかった。
トラブルを起こしてはならない。日常的な管理体制やベンダー管理、品質管理などに対してさらなるマネジメントが必要であろうと思われた意見が多い。
そんななか、機長の的確な判断、タイムリーな乗客への情報公開などに対しても評価が高い。
乗客を心配させないで最前の結果を得るための努力をした機長には賞賛だと思うし、なによりも信頼と安心を得たうえで最善を尽くしていることがなによりもすばらしかった。
一般的に、なにかトラブル、困難にぶつかったときに、私たちの対応がいかなるべきか?
機長もおそらくトラブルに対して訓練をされていたことが今回の対応になっていると思うが、その根底には機長の人に対する対応の仕方そのものが気遣う気持ちがあったのだと思う。
わたしたち。
子どもに対して教育をする立場にあるおとなは、冷静に問題に処する気持ち、考えを持っているだろうか。
すぐに腹を立てては、子どもにあたったり、家族に当たったりすることはないだろうか。
問題が起きた原因を人の問題とせずに、その中にあるシステム、状況、体制、構造的問題から拾い出す考えをもう少し全面に出してもいいのではないだろうか。
全日空事故のような問題が私たちの家庭、近隣、日本に起きたときに、機長としてどのような対処をするのか、を考えさせられる出来事だった。
今日、ストライキ中とのニュース。
これも全日空機長はいかなる出来事として受け止めているのか・・・
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清里の桜はまだ早い。
5月の連休あたりが見頃で、且つ満開になる。
が、今年は早くなるかも知れない。
清里を含む北杜市は有名な桜の木が多い。
神代桜を代表とする高齢桜である。
ちょっと前に長野県高遠に行ったのだが、ここも桜が有名な観光地である。
というか、町全体が桜に覆われたような壮大な桜の木、木、木・・・である。町の中心を川が流れていて、川べりをぶらぶらしたことを思い出す。
仕事の用で行ったのだが、温泉もあったので入る。
これが春じゃなかったのが残念だった。
小さな町だが、桜の時期になると大勢の観光客でにぎわうらしい。
桜は見たいが、人を見に行くくらいなら、前回のように桜が無くても温泉でゆっくりした方が良いと思うのは私だけだろうか。
清里の桜、ツツジ
5月を過ぎるとこのあたりも暖かくなり、山菜を求めて観光客も多くなるのだろうか。
私は子ども達といっしょに学習をすすめるべく、あらたな教材、仮説を立てているところである。
空気が暖かくなるにつれ清里がエネルギーをもらいはじめていることを自覚する。これって、谷川俊太郎の「春に」の世界が実感できる今日この頃である。
そうそう、今日の本題だが、桜の中には抗菌性物質が含まれているらしい。
清里にはそんなことをテーマにがんばっているひともいる。
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息子が中学校で野球をやっているので、夜はついプロ野球を見てしまう。最近だと、松坂大輔のメジャー入りで、あまり知らなかった大リーグのことも興味を持つようになる。
これは私だけではなく、松坂大輔効果が野球観戦の増加を生みだしているのではないだろうか。
ボストンレッドソックスが勝つかどうかより、日本人プレーヤーの動向が気になるほどになったのだから、野球人口は増えているはず。
でも、末端の小中学校での野球はさんさんたるものがある。
サッカー部や最近ではバスケットボール部に集中し、野球をやろうとするものが少なくなっているのだ。
部が存続できない学校が私のいる市だけでもかなりの数である。
プロ野球人気が復活することなしに、子ども達が戻ってくる兆しはなさそうだ。
だからこそ、松坂大輔のようなスター選手の存在がほしい。日本のちびっ子達に野球の楽しさ、難しさを知ってほしいと思う。
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これまで有料で(つまり、みなさまに買っていただいていたものですが)、有効期間も切れたので公開することにしました。
子どもの育成、発達に主眼をおいたシュタイナー教育、わたしの子どもとの成長を通した教育観を加筆、訂正を加えての公開です。
公開は、このブログでもよかったのですが、最近ヴァイラル・アーティクルにはまっていることもあって、そちらのサイトに公開することにしました。このサイトだと、どなたも記事の公開ができますし、広く知っていただけると思います。
URLは、http://www.viralarticle.com/
この記事は数年前に小学校低学年の子ども達とのつきあいの中で、自分が感じたことを書き留めておく内容だったのですが、父母の方から公開してはどうか?という声をいただき改めてまとめたのでした。
それを今回さらに訂正等をしながら公開していこうと思います。
どうぞよろしくお願いします。
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中学1年生になって初めて英語を勉強し、6月に英検5級受験・合格、10月に4級受験・合格、2月に3級受験・そして、昨日面接試験があった。
本人曰く、「合格しているね」
と、1年間で3級まで合格(今の段階ではたぶん合格だけど・・)してしまった。
英語ばかりやっていたわけではなく、普通に部活をしたり、宿題をしたりの毎日で、普通の公立中学生だ。
英語が好きだとは思うが、学習プランを提示し、それに沿った学習ができたからに他ならない。
逆に言えば、3級レベルでも短期で受かることができるテクニックはあるということだ。
ただテクニックとかノウハウというと聞こえは良いし、すぐに飛びつくものもいりかも知れないが、英検特有のテクニックは存在するのだ。
英検は高校受験でも準2級くらいなら優遇措置もあるようだし、2級~準2級くらいをもっていてもマイナスにはならないだろう。
いや絶対プラスだ。2級レベルならば。
だから、中学2年生までに2級を取得しておき、3年生では受験に特化した学習をするのがいい。
もちろん、中3で準1級でもトライする度量は必要だ。
最近はどの中学生も3級レベルなら卒業までに取得できる能力をもっているので、はやり2級クラス以上が優遇だろう。
で、そのコアはなにか?
その答えは、清里図書館で公開していきたいと思っている。http://kokoro-juku.com/
ただし、だれでもできる、習得できる方法とはいえない。
その子のレベルやそのときの能力、理解度など絶えず総合的なプラニングで進行しなければならない。
まったくわからない英語を、つまり1から3級レベルまで押し上げるのだから、それなりの苦労がいるのだ。子ども達にとっても、わたしにとってもだ。
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やり方を理解するのに20分くらいはかかったが、ホームページは2分でできあがり。
しかも、adsense付き。
やはりアーティクル最高!ということだ。
ヴァイラル・アーティクル+強力武器=・・・?
さすが、という感じだ。
今後の様子に期待あり。
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こんな問題を公開しました。
問題を読み、解くとき、どの単元の問題か?と考えることがある。
でも、この種の問題はよくわからん、となりがち。
だからこそ考えるには良い問題だ。
http://kokoro-juku.com/2007/02/post_36.php
http://kokoro-juku.com/2007/02/post_37.php
学習3択もランキングがでてきた。だれが一番かな?
期末試験に対応して自分の知識をトライしてみよう。
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こころ塾で「3択学習」を開設した。
順次追加していくが、いまは理科の教科を確認する予定。
なぜなら?
数学、英語、国語の3大教科は、自作テキストがほぼできあがり、高得点のみならず「わかる」を体験できるようにしているからである。
高校入試を間近にして、世の中は次のターゲット(?)に当てているが(中学3年を除いているだけなのだが・・・)、高校教科がクリアできる学生ができているのか?ちょっと疑問な日々が続く。
学習3択は、こころ塾サイトに新設しています。
ランキングもあるので、是非挑戦してほしい。順次問題を追加していく予定です。
http://kokoro-juku.com/quiz.php
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原因分析をする。
ということで、まず最初に、原因とは何か。
問題を起こしているもの、ことをいうのが通例である。
それを取り除けば本来のあるべき姿に向かうことができる。
もちろん、あるべき姿に向かうプロセスでも、新たな問題が発生することがある。
教科問題の場合は、問題の所在を知ることができれば、それを取り除く、あるいは解決でき、答えを導くことが可能になる。
つまり、原因分析とは、まずいこと、望ましくないこと「問題」が発生したときに、なぜ問題が起きたかを分析する、つまり原因を探るの
だが、いろいろある(考えられる)原因のうちで、最も可能性の高い原因に絞り込むことをいうのである。
原因を明らかにする。
と同時に、原因を探るプロセス、ベクトルに原因分析の本質がある。
では、原因分析をおこなう目的はなんだろうか。
それは、思いつきでやってしまう原因探しと対策をできるだけ排除するためである。解決に結びつく可能性を高め、効率よく原因究明をし
ようというわけである。
<言うは易し・・・自戒!!>
まぁ、このような原因分析を含めて、本論にはいる前に問題解決プロセス、特にアプローチの仕方につて考えてみたい。
1.偶然型アプローチ
偶然の産物として解決できる場合。
あるいは、自然に任せて、それに従うのだ。自然の成り行きから原因を突き止める、考えていくアプローチという意味では、後述する「無為型」とは違い種類のものである。
2.感性型アプローチ
直感というひと特有の感性からでてくる原因をもとに解決するアプローチである。右脳開発などに代表される原因の追及と問題解決である
。ひらめくことを評価する傾向にあるが、その原因と対策が理にかなったものかどうか疑わしいところがある。
という、開発的な要素を含めた考え方であろうが、自然に頭の中に浮かんできたことを解決手段にする傾向がある。
また、アプローチの仕方であって、その原因が評価されることもあるので、要は、その人の頭の中に浮かんできた知識・スキル・気持ち・
風土などのバックグランドによるところが大きいのである。こうなると、後述する合理的アプローチとまったく重なってしまうので、ここ
では自然に浮かんできたことを本人が合理的に説明できない(できにくい)こととしておきたい。
”自然に浮かんできたこと”という部分で、先の偶発的アプローチに近いものがある。
従来の常識にとらわれない発想ができる。
そういう強みがある。
3.合理的アプローチ
私たちの問題解決はこのアプローチの仕方を言うことが多いのではないだろうか。実際、職場などで研修されたり、業務上の問題解決はこ
こでのアプローチが必要とされている。上司に「ひらめきました!」と言っても、「ちゃんとやってから報告しろ!」と言われるのだ。
科学的アプローチともいわれ、科学的手法で、客観的・論理的に分析することで原因を突き止める。
客観的であるために多用されるのが数式などを用いて原因特定したり、要因の関係の有無を調べる統計的手法などである。これらを使うと、式が正しいのであれば、その結果を受け入れることになる。
また、合理的アプローチには、原因を特定するための科学的手法を駆使するので、科学的である以上再現性が重要視される。
ここから仮説やあるモデルができ、原因を特定するに足るプロセスをたどることができるのだ。
合理的アプローチは、実証主義、還元主義などと深く結びつき(私は詳しくはありません。)、他のアプローチ方法を駆逐していったのだと考えています。まぁ、それほど強力な武器であったことは間違いありません。
この合理的アプローチには、確認のバックグラウンド、ポテンシャルのレベルの問題があるので、直感的に科学的分析を行うことを考えると、感性的アプローチに近いものがありそうだ。
4.無為型アプローチ
つまり何もしないということ。
これもアプローチとしてはありということだ。
<上記の題名は、G・ナドラー、日比野省三著「ブレークスルー思考」ダイヤモンド社刊からの引用。>
ということで、私たちはどのような問題分析をしているのかを見てきたが、具体的な分析についての手法を次回述べたいと思う。
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問題解決のプロセス
問題を解決したがるのが人間である、というくらい人は問題を抱えている。
毎日問題が出てこない日はない。
それらたくさんの問題を私たちは日常的にこなし、解決し、そしてあたかも何もなかったように次の日を迎える。
私たちは実に問題解決が上手なのである。
しかし、だ。
問題とは気づかないまま、あるいは、問題と知りつつも逃避することも実は多いのである。
問題を問題と意識しないと解決には結びつかないのである。
ということは「問題」ってなんだ?ッてことになる。
また、問題を解決するということは、原因を探り出して対策をたてることである。つまり、そこには優れた意志決定が要求されている。
このように毎日実践していることを、ちょっとまとめてみようという試みがこの■問題解決のプロセス■。
果たしてどうなることやら・・・
詳しくは、次号以降で考察していきます。
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| 共振(シンクロ)の仕組み!【共感される文章とは】 |
著 者:
兵法家けん |
共振! 共感! は なぜ起こる?
今日はメルマガの発行日でした。
と言っても、自分が決めたんで、勝手に変えれます(爆)
週刊で今、メルマガ発行してるのですが、
昨日はすっかり、忘れてまして(爆)
夜あわてて、投稿予約しました。
ちなみになぜか、
発行時間は月曜昼12時10分です(笑)
食事時に迷惑メールじゃあ(爆)
最近ネットカフェ生活なので、大変です(笑)
従業員に一人可愛いこが… フフフ…(爆)
昨日のメルマガのテーマは時間なかったんで、
管理人の別ブログの、
記事から引用でチョロチョロっと書きました。
いつもは、メルマガはけっこう、
構成に時間をかけてるんですが、
今回、まったく準備不足!
しかし、ええ? たまたま?
メールがいつもより、多かったです。
なぜ? ホワイ?
んんん、共感してもらうとこがあったのか?
管理人はけっこう、経験するのですが、
んんん、今日の記事は なかなかか?
俺って天才? ← 管理人の心の声です(爆)
ああ、今日の記事はあまり、内容ないか?
ああ、どうしよう、つまらないと、思われるかも(泣)
↑ 管理人の心の声です(笑)
ところが、です。
ところが。
自分が意図した結果と逆が多いです。
どういう事かと言うと、
以外に、自信ある記事が人気なかったり、
自分では、ええ? という記事が、そうですねえ、
と共感してもらうことがあります。
人気あったか、なかったかは、
コメントの書き込みのボリューム等で推測できますね!
と、いうことで、
今日は コメント!について
コメントは非常に役に立つと思います。
管理人はよそ様のサイトでのコメントも
時間がある限り、よく読ませていただきます。
色々なものが、見えてきますよ。
中にはダイヤの原石も!
ああ、皆さんはこういう記事に興味があるのか?
え、こういう記事にも共感してもらえるの?
やはり、人それぞれ、共感のポイントは違いますね!
実は、この辺の内容が前回、
ご紹介いたしました、
中山さんのキキダスマーケティング
↓
http://ken0303ken.blog.ocn.ne.jp/hyakukin/2006/02/post_fd48.html
に書かれてあります。
ひと(他人)に聞くと、
自分が見えないものが見えてくる!
○共感が共感を呼び、物が売れる!
○あるいは、人が集まる!
○あるいは、信用がうまれる!
この文章の原文はこちら
↓
http://ken0303ken.blog.ocn.ne.jp/hyakukin/2006/02/post_c7b4.html
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運営ブログ 孫子のアフィリエイト
URL http://ken0303ken.blog.ocn.ne.jp/hyakukin/
兵法家けん
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アーティクルリソース:http://www.viralarticle.com/
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■集中力がない?■
そろばんをやっている子ども達には、「集中力」がないとは言わせない。
何桁もある数字のかけ算など、計算に集中しているからこそ正解するのだ。それを何題もこなしていくうちに、自然と集中するということの実体を体験することになる。
じつは、集中しているときとは?
わたしもそろばんをやっているので、実感するのだが、そろばん計算をしているときは、実は何も考えていない。
計算を考えているからだろ?
そういわれるかも知れないが、計算自体もあまり考えていないことに気づく瞬間がある。
ボーっとしているような・・・
それが「集中」なのか、と思っているのだ。
そろばんって単純計算の繰り返しである。
ただ指が記憶している珠の動かし方を、あたまではなく体が覚えているので、やっているという感じなのだ。
そんなときって、単純計算なので、あたまも活動していないような感じで、計算と向き合っている。
そのような経験をしていると、たとえば、数学を解く、ということを考えると、解くために考えていることは、「集中」とうよりも、あたまの中を「わかる」事柄が縦横無尽に動き回っているか、おっとヒラメキで「こうやって解ける」と思いつくかのどちらかなのである。
ボーっとしているときのそろばんとは違う頭を使っているような・・・
だから、学習に集中しようといっても、実は、対象物をしっかり考えようとする自発的な力が要求されているのだ。
そこは「集中」というのかどうかわからないが、そろばんとは違うな、ッて感触だ。
だから、集中力がない、と嘆くよりも、わりとやさしめの問題を解きながら、あたまのどこを使いながら問題を解いているかを、子ども達に体感させる方が良いように思う。
きょうはちょっとまとまらなかった・・・ね。
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■好き嫌い■
好きなことだけやれれば、その方が良い。
が、世の中そんなに甘くはない。好きなことのなかにも、乗り越えなければならないことがある。
乗り越えるときのこころざしや、手段、テクニック、わざ・・・
いろいろなことが、自分がこれまでに経験したことをベースにしているのである。経験していないことをこれからやるのだけど、そのときの自分なりの方法は、すでに経験したことが素地になっている。
社会がきらい。
ただ、歴史の出来事だけをおうのではなく、人物の流れに沿った歴史という切り口で見直してみる。
歴史小説を読んで、教科書との関係を調べる。
べつの見方を提案してくれる人がそばにいてくれればいいのだが、そうでなくても調べることがいろいろできるはずだ。
(私たちの立場は、その子ども達にあった提案をして、実行することにある。)
受験のことを考えると、嫌いだから、という理由で勉強しない、とはいえない。
個人的には、できる人といっしょに勉強する。そして教えてもらう。
わからないことを教えてもらうのではなく、最初から最後までプロセスを教えてもらうのである。
わからないところがどこなのか?それがわからないことが多いのだ。
説明を受けるとわからないこと、知りたいことを言うことができる。
できる人がいない?
塾、それもできるだけ個人に振り向ける時間が多いところを選ぶしかない。
わからないことでも、いっしょにやっていると、案外簡単だなぁと思うことがあるのだ。それを大切にしながら、先に進もう。
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■スランプ脱出■
期末試験が終わると、それだけでなにもする気が起こらない子どもたちが増えてくる。
期末試験だけが目標だっただけに、その目標が無くなると突然やる気が起こらないのだ。中学3年生は、もっと先の目標があるので、そんな気になっては困る。
期末試験という小さな試験でもそうだ。
ましてや受験後のスランプから脱し切れていない子どもたちもいる。
中学受験である。
受験でがんばっただけに、その反動も大きい。
目標が、合格なのだが、その背景には競争意識がある。
否定するわけではないが、競争する環境がなくなり本来の学習環境になったのだから、本人にとっても良いはずだ。
でも、競争が学習を支えていた当時の気持ちが、ずっと消えないままにいるのである。
「普段の学習に競争意識を取り戻す」
ことも必要かも知れないが、興味ある学習、やりたい学習、をささえるスタンスを復活させることが必要である。
中学受験を乗り切った子どもたちであるなら、学習することに対する違和感というか、否定感があってのスランプではないはず。
本来のわかろうとする力に気づいてくれるようなサポートが必要なのである。
そのひとつが、「体験学習」である。
自分で経験する。
経験することを計画する。
経験したあとの、イメージの違いを文章にしてみる。
いろいろなことが考えられる。
つまり体を使いながら、自分の中の整合性を再構築していくのである。
ここにもイメージがおおきな役割を果たすのである。
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■机の上だけが勉強じゃない■
が、要は学習する習慣ができているか、ということ。
よく「私が言っても聞かない」「教えていると、いつの間にか叱っていた」と言われる保護者の方がおられる。
だから、塾に行かせて、他人の目で評価してもらうのだ。
これも大事なことだが、毎日塾に通っても、生活の基盤はやはり家庭にある。
家庭でどのように「学習」と接しているか、が問題だと考えている。
一番良いのは、学習をみるというより、いっしょに学習すること。
あるいは、お母さん達は自分のやることがあってそれをやっているその横で勉強する。
こたつでいっしょに(やることは別々でも)やる。
お父さんが読書しているなら、その横でいっしょに読書をしたり、宿題をする。
無心にやるんじゃなくて、「あ~、そうか」などと言いながら学習していることの楽しさを子ども達の前でさりげなく、しかも強烈にアピールするとか・・・
たまにはわからないことがあったらいっしょに調べたり、教科書を読むのもいい。
学習する習慣がついていれば、あとは自分でちゃんと計画を立てることができるかどうかを、機会を見ては確認したり、計画の立て方をいっしょに考える。
キーワードは「いっしょ」
やり方がわかってくると、最初はまねごとでも、次第に自分なりの工夫や段取りを考える基礎ができてくるのである。
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■期末試験の成績上がった?■
テスト結果をもらったあとは、みんな今度こそがんばるぞ!となる。
か、
結果も見ずに、あきらめてしまうか、
それは、・・・だ~
なんて言いたいのではなく、「もっとやっとけば良かった」「でも、今のようにやったら・・・」と後悔と不安をもっている子ども達も多いのではないだろうか。
問題が解けなかった、ということは、
問題文を読んで解くプロセス、答えを導くプロセス、そしてそのときに抱くプロセスのイメージが持てない、
ということである。
自分がわかっている内容と、問題文に書かれた問題のわかる範囲に交差範囲がないのである。
解くプロセスには一定の過程を得る。
それは、わかるとはどういうことか、わかることとわかろうとすることをいかにして結びつけていくのか、
ということに原点があると思う。
そういうなかで、問題を解くためのキーはあるのか。
「図」を書きながら解く。
「間違いノート」に書き記す。
問題を解くという行為は論理的作業ではある。
だが、そこには問題を見つけていくという実質的にイメージの世界が存在するのだ。
論理とイメージをいかにして育てていくか、を「図」と「間違いノート」がサポートしてくれるのである。
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■メリハリのついた学習■
もちろん当たり前のことである。
でも、ですよ。学校が学習だけを強要するようなしくみだと、子どもはそれに従うしかない。
学習。
宿題。
部活。
塾。
特に、子ども達にとって部活の役割は大きいと思う。中学生ならなおさらである。
体を動かすことで、こころも生き生きする。
部活があるから学校に来ている、そういう子ども達も多いと聞く。
うちに来ている子ども達にもいた、いた、いた。
体を動かしたくてしようがない。
で、ただ動かすだけじゃなくて、あたまも使っている。それぞれの運動にある特有のルールや戦略を考えるのだ。
チームプレーならば、友好関係もつくることができる。
ただ、部活をすると疲れてしまうのだ。
夜の塾に支障をきたす・・・
やるときはやる習慣、
おとなの実行力とともに、子ども達にやるときはやる習慣を背中で見せていかねばならない。
「やりなさい」
と一方的に、叱るのではなく、背中を見せる。
短時間でも良いから、毎日学習することが、将来の大きな一歩につながる。
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■期末試験で高得点を得る■
短期集中か長期戦略か?
一夜漬けでは頭に入っているようでもやっぱり無理がある。長期とはいってもせいぜい2週間くらい学習に専念すればいいので、「長期」にやるようにしたい。
試験ではあるが、学校のテストというある程度分かっている内容に対するテストならば、ここはきっちり得点したい。
その対策は?
ここまでに述べた毎日の復習は欠かせない。
分かることと分からないことをはっきりしていく作業が必要である。わからないことが無くなれば、それは得点になって自分に返ってくる。特に、学校の試験となるとなおさらである。
長期にわたる学習のメリット。
それは分割学習にある。
細かくワケながら学習するにはそれなりの時間というか期間が必要である。
たとえば、学習する内容・範囲を5つに分けたとする。
初日は、「1」をする。
2日目は「1」と「2」をする。
・・・
こうして反復学習から知識を定着することが必要である。
試験前日に焦点を合わせて、前日には全範囲を確認することなどを考えると、分割学習でできうることはたくさんある。
全て自分のできるレベルに応じて実行できるのである。
反復学習のいいところを活用しながら、あらたな「わかる」ことを広げていくようにしたい。
そしてもうひとつ。
間違った問題をどうするか。
わたしは「間違いノート」を提唱しているが、間違った問題にこそ自分がやるべき方向を示しているといえる。
間違いノートのワンポイント。
それは、消しゴムを使用しない、ということである。
間違った問題を消すことのデメリットは大きい。
じぶんがどこでまちがったか、次におなじ間違いをしないか、などということを実感できる好材料なのである。
とかく正解だけを書きたい生徒。
間違った問題を見ては、自分を制することを忘れないでほしい。
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■暗記が苦手・・・■
期末試験が近づくなか、暗記できないと嘆いている生徒たちも多い。特に、理科や社会のような暗記科目で。
英単語も覚えられない、と昨日の子どもは言っていたが。
この暗記。
どうしたものか。
興味があることなら一度聞いたり、読んだだけであたまの中に入ってくるのに、苦手、やりたくない意識では何度やってもムダだ、という経験者も多いはず。
じつは、わたしもつい最近資格試験を受けてきたのですね。
病気に関する知識、たとえばリウマチだとか、パーキンソン病だとか。内容とともにそのときに対応はどうするのか、といった知識も覚えなければならずたいへんでしたね。
全くの素人から、知識を獲得しながら資格を得る。
これに通じるのが、暗記する力である。
まず最初に、何回も読む。
全体像を自分なりのキーワードで、自分なりに理解する。
次に、全体の枠組みをさらに理解するために、キーワードやキーセンテンスを書き出していく。
必要に応じて線で結んだり、派生する言葉などを追加しながら、あくまで全体像がわかるように「図」を作成する。
この時点で、知識としては不足はしているが、この教科、この資格試験の全体像はこうなんだ、とわかってくる。
そして、精読か?
いや、わたしの場合、精読もするが、そこにはいかずに、過去問を解いていく。
過去問の該当箇所を参考書やテキストなどで線引きをしながら、全体像のどのあたりが問われているかを確認するのである。
過去問を解く作業。
テキストで探す作業。
これらが精読になっているのである。
単に読む、ことから目的を持って読む作業に変わるのである。
覚える、という作業は、そのあとくらいではないだろうか。
全体を理解し、その分野に出てくる言葉の意味や言葉そのものを理解してくると、あ~このあたりに書いてあったな、とわかってくる。
そうなってくると、覚えることを意識しなくても、そのうち覚えてしまうのだ。
要は、それくらいの期間は必要だ。
前日になって慌てて覚えても、すぐに忘れてしまう。
でも、目的を持って、少しずつこなしていけば、忘れないものを獲得できるのである。
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■ミスがなくなるために■
わかっていても、ミスをする。
自分では気づかないことが多いのがミスの特徴でもある。
他の人ならすぐに気づく。
ミスに関しては以前に書いたことがあるのだが、ミスをしやすいタイプとミスがしにくい、又はミスが出てもすぐに見つけるタイプがある。
前提条件として、計算に慣れていることが必要である。
計算はできるのだが、日頃から計算をやっていることが必要なのである。できる!からと長年計算をこなしていないと、計算間違いも多い。
勘はすぐに取り戻せるのだが、取り戻す前に計算間違いによる失敗を繰り返さなければならない。
試験ではそんな経験をすることはできない。
計算だけではなく、問題を考えるとき。
大きな字で書く。
字と字の隙間は大きくとり、字が重ならないように。
あとからマイナス(-)記号を付けるときも、スペースがあるとないとでは、その後の計算ミスに影響する。
計算用紙に計算途中をていねいに書く。計算省略はしない、というより、いつものやり方で書く。
解答後に見直しができるような計算過程が書かれているか。
試験は慌ててしまうのが常である。
いつもと同じ気持ち。方法。
これが必要だ。
そのためにも、日頃から勘を養い、問題を解くやり方を決めておいた方がいいと思う。
しかも、字は丁寧に。
それでミスのほとんどは防ぐことができる。
これは子ども達との経験からでたことである。
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■授業の復習■
「家でちゃんと勉強やってる?」
と聞くと、「やってる」と答えるのだが、その内容と確認すると、どうもいただけない場合が多い。
今週から期末試験が始まるのだが、計画的に学習していかないと、全教科をこなすことは難しい。
だから、毎日少しずつやる学習が、実は一番身になっているはずなのだ。ちょっとずつこなしているとやった気にならないのだが、あるとき(期末試験前に)ど~んと全範囲をこなしていく。
そうすると、今までやっていてわからなかったことが、わかってくるのを実感する。
そのための学習を少しずつこなしていこうというのだ。
では、その学習はどのようにやるのか。
当たり前のこと。
それは、復習をするだけ。
しかも、その日の授業分はその日のうちにやる。
要は、わかることとわからないことを明確にする、につきる。
わからないことがあるかどうかわからない状態(??)にするのではなく、ここがわからない、とはっきりさせるのである。
そうなればしめたもの。
そのわからないことをわかるようにすることが、次へのステップになる。
次の日学校で先生や友達に聞けばいい。
塾に通っているなら、そこで聞く。
わからないことをなくす作業が日々の学習である。
無理に暗記にはしる学習をするのではなく、暗記をすればわかることより、考えてもわからないことを拾い出す作業をやろう。
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動くという行為中、あたまの中は結構晴れ晴れしている。
特に単純作業をしていると、何も考えていない自分にハッと気づくことがある。
たとえば、草むしり。
ただひたすら草を取っているだけで、最初は何かしら考えているのだが、そのうちただ草を抜いている。ボーっとしているわけではないのだが、何も考えていなかった、と思うのだ。
体を動かすことには、良いにつけ悪いにつけ、考えないですむ、という側面があると思うのだ。
また、こんなこともある。
たとえば法事などで帰省したときに、お経を唱える。
そんなに覚えているわけではないが、繰り返しでてくるお経を覚えてくると、リズム感が良いときは、繰り返し発音しながら何も考えていない、いや、何も考えられないことに気づく。
暗唱。
これをしているときも、あたまの中は空っぽになっている。
繰り返す。
暗唱する。
ここに身体の動きが加わると、あたまは何も考えない、考えられないのだ。
ただひとつの行為をするとき、あたまの中は空白になる。
これが今日わかったことだ。
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頭の中を空っぽにする。
これが集中力をつけるための最も良い方法のように思う。ある一点のことに目を向ける動作は、エネルギーを必要とする。
エネルギーを一点に集中することでもある。
拡散したあたまを一点に向ける。
エントロピー的にいえば、拡散する方が世の流れであるのだから、集中するということは自然現象に反する重大な行為なのです。
とはいっても、「集中できる」ということは人間が持つ本質でもある。
どうやって集中するのか。
ここで、集中する=無になる
と同義で考えたらどうだろうか。
無にして考える。
集中して考える。
厳密には同義ではないが、原因と結果の関係は持っているようだ。
無にする、無になる。
ひとつの方法を考えるきっかけとして提案したい。
たとえば、そろばん。
そろばんをしている子どもは、確かに集中している。無になっているかどうかはわからないが、計算をやる、という行為をのぞいては「無」である。
むしろ、そろばんの中での計算自体も「無」でやっている可能性がある。
このことは、そろばんをやっているわたしも実感することだ。
計算中はあたまの中は何も考えてない。
そろばんに集中しているのだが、計算そのものもあまり考えていない、のだ。
これは、考えているのか、考えていないのか、と言われたら考えていない、と答えてしまうということ。
淡々とそろばんをこなしている、そんな感じである。
つまり、反復動作をしているときは、けっこう「無」の状態になっているのである。
次に、九九を暗唱する。
これだって九九のことは考えているけど、ほかのことは考えられない。
九九を完全に覚えている子どもは、暗唱中だって九九のことは考えていないのである。考える必要がないほど覚えてしまっている。
暗唱するということは、集中のキーをもっている。
これって、学習のみならず生きていくうえでの含蓄あるコンセプトを持っているように思うが・・・
暗唱しているときは、嫌なことも、苦しい思いもあたまの中からぜんぶいなくなってくれるのだ。
集中しようと思っても集中でいない。
無になろうとしても無になれない。
でも、暗唱はできる。
反復動作はできる。
そろばんの良さはここで言うまでもなく、絶大な効果があるのだが、もっと一般化した集中ということを考えても、そろばんが育むこころの安定にはもっともっと隠された秘密があるに違いない、そう思ったのだ。
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見る see は、自分の網膜に移っている映像、イメージをそのまま照らしている。だから、すべてを見ているに違いない。
でも、いったん目を閉じたとき、何を見ているか、何も映っていない、つまりイメージできないことがあるのだ。
どうも「見る」という行為は、その見るということで直感を生みだしている、という一面を持っているようだ。
わたしの家のまわりの風景。
息子の学校に行く道。
すべてわかっている。
のだが、具体的に、あそこの店がどんなたたずまいなのか、なんて聞かれてもわかっていない。
道じゃないから?
道だって、信号についている住所表示がどうだったか、なんてことも知らないし、一方通行表示すら知らない。
しらなくても不都合がない情報は、自分で切り捨ててしまっている。
見ているようで見ていない。
私たちの生活は、このような状況の中でも何ら不都合はないのだ。
逆に、うまく切り捨てることができることで、自分にとって必要であると思う情報だけを取捨選択できているともいえる。
自分にとって必要な情報とは?
そんな情報は「見て」いるはずだ。
そのそのときの興味、関心、仕事の進め方・・・あらゆる自分に関する「もの・こと」から影響を受けながら、必要な情報だけを「見る」。
だからこそ、いろんなことを見ようとする好奇心がないと前に進まないのだ。
必要な情報と思う自分の関心は、その時点ですでに過去のことなのだからだ。
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これまでわり算について書かなかったが、九九ができるようになれば確実にこなせるのがわり算である。
が、桁数が増えてくると、嫌になるのもわり算である。
頭の中でわる数のかたまりがいくつあるか、を計算しなければならないからだ。
これが嫌で(というか、マスターできずに)そろばんをやめていく子ども達も多い。
このおおもとは、九九である。
しかも頭で計算する九九が膨らみを持っているかどうかである。
そして、直感である。
そろばんを使ったわり算のやり方はそう複雑ではない。
引き算の世界である。
かけ算もわり算も、九九を使った見取り算であることがわかれば、やり方さえマスターすればだれでもできるのだ。
かけ算もわり算も、見取り算ほど桁数が多くはないので、1計算問題で使う九九による足し算引き算は、見取り算と比べてそう多くはないのだ。
だから、見取り算の方で計算間違いをする子どもの方が多い。
基本は見取り算。
だから、計算ミスが多くなると見取り算にかえる。
そして、何度も繰り返しそろばんを使うことにより、ミスを減らす。
ところで、わり算。
わる数のかたまりを見つける作業がたいへんのようだ。
それは筆算でも同じこと。
わる数の一番大きな位の数と、わられる数の一番大きな位の数を見比べて、いくつのかたまりがあるかを、九九を駆使して、直感的に見つける作業である。
それは何度も繰り返しそろばんを使うことで養われる技能である。
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実は今日、英語教育に関する研修を受けてきた。詳細は言えないが、子どもたち(日本語を母国語とする)にとって必要とされる英語とはなにか?
英会話か?
文法か?
ほかにあるとすれば、それはなにか?
そんなことを考える研修であった。
そうすると、わたしが今やっている子どもたちとの英語はなんなんだろう。
たしかに、高校に行ける英語だし、大学にも行ける英語を学ぶことができる。しかも効率良くである。
教える根拠は何処にあるのか。
そのヒントは、実はシュタイナー教育にあった。
そして、同時に文科省の動向にもヒントがあった。
子どもの成長に即した教育である。
そこには、なにがほしいか、ではなく、なにが必要か、を考えるおとなの存在が大きく影響する。
どの教科を考えるときにも、子どもの成長にあった教育があるはずだ。
小学校なら小学校ならではの教育システムとそのプロセスがある。
あなたの答えはなんですか。
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以前テレビに出演したときに、「なぜ、将来ある技術者の道を捨てて、田舎に移ったのか。」と聞かれたことがあった。
将来があるかどうかわからないが、わたしが在籍していた部署はいまだに増設増設で半導体景気を味わっていると聞く。
そういう意味では、そのまま会社にいた方が良かったのか・・・
とは思っていないので、こんなことが書けるのだが。
「自然」に向き合うこと。
週末自然志向では満足できない、家族との向き合い方に等しい「自然」に対する深い思いを感じ取らなければならないと思っていた。
自分が都会で良からぬ思いを子どもに「無断で」伝えていっているような後味の悪さを感じていた。
それが会社か。
それが人生か。
いまは子どもが帰る頃には父も母も家にいる。
というか、父はほとんど家のまわりで過ごすことができるライフスタイル。
会社にいようが、独立しようが、自己実現の道を造ることに生き甲斐を持つことができる。
100%自己完結したスタイルを子どもは見ているのだ。
かつてわたしが子どもだった頃、サラリーマンをしていた父の背中を見てきた。わたしは、自分がサラリーマンの道を行くこと以外の道を見出すことができなかった。
ところが、実は父はサラリーマンだったが、一代で気づいたサラリーマン社長だったのだ。そのことを知ってから、サラリーマン以外の道を選択する勇気を教えてもらった。というか、わたしが単に世間を知らなかっただけなのだが・・・
それでも、父ができるのなら、父がやっていることは普通にできると教えてもらったのは確かだ。
そのような情報の中にいること、自分が実際に体験したこと。
このことが自分の人生に大きくかかわっていることを、いまでも感じるのである。
息子の生き方も、私たち夫婦の生き方を反映するかも知れないということを感じるのだ。
だからこそ、自分たちの背中が、子ども達の体験と重なることを意識しながら生きて行かねばならない。
ここにも、子ども達に与える「イメージ」の強さが影響すると思う。
自分で体験し、想像できる自分を作ることこそ、ある時に決断する意志を作り上げるのだと思う。
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自分がどこにあるのかわからない。
自我ができつつある中学生にとって、自分がどんな人間になろうとしているのか、どんな人間になりたいのか。
追い打ちをかけるように、まわりからのプレッシャーに自己を統制することができないままにいる。
そんな印象を受ける今日この頃である。
シュタイナー教育では、中等教育が始まるころには、自己を作り上げるための「他者」を否定することが条件となる。
ということは、初等教育において、自分があこがれる他者を描いていなければならない。
つまり、
あこがれる他者・・・おとな、両親、先生、スポーツ選手
↓
あんな風になりたい自分
↓
自己に気づく自分は、あこがれていた他者で良いのだろうか
↓
自我の芽生え
揺れ動く子どもの心を、このような紋切り型で述べるわけにはいかないが、少なくとも自分ってなんだ?に対する答えの前提を持てないまま、どこに行こうとしているかわからない自分はそこにいる。
テレビ報道が拍車をかけている、なんとなく死んでしまった、そんな感じも受ける。
そばにいるおとなと子どもの関係が、お互いの心を安心させようとする、まさに逆の方向を向いていることになるのか。
安心できる家庭、家族をイメージできる力がどこかに行ってしまってはいないだろうか。
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九九を覚えていないが、かけ算をする。
メールでご質問があったので、若干補足です。
そろばん側の学習プロセスから言うと、2桁どうしのかけ算がスムーズにできるようになったころには、九九を覚えており、より速くかけ算ができるようになる。
その際に必要なのは、そろばんでかけ算をする手法の理解を指が覚える、ということ。
九九がなくても、指の使い方は学習できるということだ。
九九は知っていた方が良いが、知らないからといってできないということではない。
私のところでは、九九表を作り、それを見ながらかけ算をやっていくのである。
九九表を見ながら、ではあるが、それだけで九九を覚えてしまった子ども達も過去にはいた。
九九を覚えてくると、九九表は自然に見なくなる。
知らない、覚えていない九九だけを表で確認し、それ以外は淡々と計算をやってのける。
子どもはおもしろくなるとドンドンやっていく。
集中力にはすごいものがある。
九九を知らないからといって、見取り算がしっかりできる子が次に進めないのは残念。
そろばんのおもしろさを知るには、本人がしたいことと、できることをしっかり見極めてあげながら、「良質」な情報を提供していかねばならない。
それは、その子その子によりちがう情報だったりするのだ。
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小学2年生は、いま九九をやっていて、それが終わったらかけ算の練習にはいるのだろう。
一方、そろばんをやっている小学校2年生は、たとえば87×49のような2桁どうしのかけ算を練習している。
かれらは九九をちゃんと覚えているわけではないが、もうずいぶん早く計算もできるようになっている。
かけ算だけが進級の目安ではないので、はっきりとは言えないが、わり算をちゃんとこなすことができるようなると、こんどは3桁×2桁のかけ算をする予定だ。
かれらは、なんの問題もなくかけ算をこなす。
しかも速い。
かけ算が見取り算の組み合わさった計算であることがわかるからだ。
だから、かけ算をやればやるほど、見取り算をしっかりこなし、間違いのない計算ができるまで「繰り返す」のだ。
この繰り返しが彼らの集中力を養っている。
しかも、そろばんには珠がある。
計算を視覚でこなすことができる、わざ(技術)を持っているのだ。この技術は、技量、しかも高等技量である。
計算をイメージできる。
このイメージが大切なのだ。
わたしの学習の根底には、この「イメージ」が横たわっている。
そろばんだけではない。
数学、算数もしかり。
英語もしかり。
国語も。
イメージできない知識は使えないのである。
まず最初にイメージができあがり、それを自分なりの「言葉」で解釈する。
それをコミュニケーションにより構成しなおす、あるいはイメージをより強くする作業を行う。
知識は、イメージし、それを具現化する作業プロセスのなかで確たる地位を築くのだ。
イメージできない。
それはわかっていないと等値である。
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神田さんによる「仕事のヒント」38によれば、
「勉強が必要な人ほど、勉強する人を批判する。」
なるメッセージがきょう届いた。
これは、わたしが毎日読むメルマガのひとつである。
えっ?
勉強が必要だったら、そこに行くことに興味があるはず。なのに、批判してしまう・・・???
でも、ふりかえって考えると、うなずける節がある。
「勉強なんていらない」
「勉強してもおとなになったら役にたたなくなる」
勉強
べつに学校での勉強に限ったものじゃない。
試験に受かる勉強だけでもない。
成績を上げるだけじゃない。
自分の興味あることを追い続けること。
しかたないけど、やらなくてはいけないこと。
とにかく「する」という行為が新しいことを考えさせる。
まわりから見ていて、批判したくなるのはなぜだろう。
というか、批判したくなる人がいるのはなぜだろう。
神田昌典氏曰く。
「自分が避けていることを、直視」しなければならないからだと。
自分は勉強したくない。
してもムダだ。
だから、好きで、一生懸命、やりたくないけどやらざるを得ない、そんな人を見ると、度胸よく勉強を避けている人にとって批判したくなるのだろうか。
そんな人でも勉強を避けてとおることはできない。
毎日が問題解決の日々だ。
だれにとってもだ。
小さなことを解決しながら、次なる問題を解決しているといっても過言ではない。
そんなとき、私たちは、それが問題であるとか考えないで過ごしていることもある。
新聞を読んで、興味ある記事や書籍などが掲載されていると、どの本をどうやって購入するか、購入しないのなら図書館で借りる方法を考えたり、自分にとって最適と思う手段を導いているのだ。
勉強している人、というのは、それが勉強だと意識している人でもある。
だから、もう少しレベルを高めていこう、興味がある方向に進んでいこうと「意識」を持って解決している人、ではないだろうか。
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学校の授業でも、英検でも、最近はリスニングが必須になっている。
リスニングが目的ではなく、あくまでコミュニケーションの手段としてのリスニングであって、もちろん話したり書いたりもできるようにしたい。
仕事がらALTと話をすることがある。
毎日ではないので、たまに話をすると、アレッなんだっけ?
と、言葉が先に出てこないときがある。
それが慣れてくると、考える前の英語がでていたり。。。どうもわたしの英語はめちゃくちゃなのかも知れない。
そんなとき、やっぱり日頃からこつこつ聞いときゃよかった...トホホ
こつこつ。
成果が目に見えてこないので、止めたくなるけど、目の前にある目標をたよりに、がんばる気持ちをいかに持ち続けていくか。
そんなとき、英語の聴覚セラピーというものが出版されていた。
どうもネットでも話題になっているというか、アフィリエイトの対象になっているのか、結構ヒットしている商品らしい。
わたしは、聴覚セラピーには興味はなかったが、著者の篠原氏の名前で、つい買ってしまった。
「快癒力」
だったと思うが、彼の著書を読んでいたころがあったので。
そのうち、モーツァルトセラピーなどと、よくわからない方向にいったな、という感じだったので、そのうち読まなくなったのだが、最近本屋に彼の名前を見て買ってしまったのだった。
で、彼曰く。(彼、といっても友達じゃないからね)
高音域、高周波に日本人は聞き慣れていないと。
甲高い音、キーキー音(の類)が英語に含まれていて、日本語にはない。
だから聞き取れないのだという論理である。
買った手前、同梱のCDを毎日試している。
毎日2回くらい聞いている。
普通の英語なので、どこが違うんだ、と思ったが、キーキー音が目立つ音だ。
これを聞いていて、速聴も同じじゃないのかと感じた。
つまり、スピードを速くして聞くと、高音域が異常に目立ってくる。早口で話しているのをイメージしてほしい。
音域が高くなっているでしょ?
速聴と高周波強調は、同じようなことを考えているのかな、と思ったのだった。
せっかく買ったのだから、もう少し試してみようと思う。2週間は試して見るよう書いてあります....
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中学3年生に国語を教えていると、漢字の読み書きで差がつくことが多い。
現代文の読解や古文は、もちろん出来不出来はあるが(これも問題ではあるけど・・・)、漢字に関してはまったくできない子、たいていの漢字の読み書きができる子にくっきり分けられてしまう。
なので、できる子は漢検などに挑戦して、3級、準2級とレベルアップしていく。
一方、苦手な子は、漢字に触れることすら嫌がる。
漢検なんてもってのほかで、日常接する漢字がなんなのか???聞きたいくらいだ。
やっぱり、ここに差が出てくる。
好きな子は漢字の読み書きに抵抗がないので、自然にいろいろなことが吸収できるのだが、苦手意識があるため漢字を読もう、書こうという意識がない。
漢字は、毎日のホントにコツコツと積み重ねていることがでてしまう。
試験前に一気にやってしまおうという魂胆は見事に裏切られるのだ。どの科目も同じだけどね。
ところで、漢検の問題を挑戦している生徒は多いのだから、問題は中学校で学んだ漢字が多いはずである。
一方の受験で出題される漢字も中学校で学んだ漢字である。
受験問題の漢字。
実は漢字の読み書きについて、文科省はちゃんと定めている。これだけは読み書きしなさい、と。
実の実は、その読み書きに関して詳細に決めているのである。
それは、ちょっとだけ業務秘密なのでここでは言えないが、漢検が同じように構成されているならば、漢検をバロメーターにして毎日切磋琢磨できるンじゃぁないだろうか。
Movableで仕上げた(改良した?)わたしのサイトも是非見てください。 こちら。
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ライセンスは高等技術を必要とするものに対して与えられる。弁護士から始まり簡単に取れるものまで世の中にはいろいろなライセンスがある。
いま話題になっている教師。
「教員資格」も大学で教員養成課程(でしたっけ?間違っていたらすいません)と教育実習を受けると教壇に立つ資格は与えられる。
しかし、実際には採用されないと教壇には立てない。
これだってライセンス業の一つであり、教育指導という高等技術を持っていると確信しているからだ。
大学にいるときに、将来どうしよう・・・資格でも取っておくか、のようなわりと”軽い”動機でも取得できるものもあれば、一大決心しなければできないケースもある。
とくに職を持ってしまったら、その傾向が大きいのだ。
ただ、ライセンスは必要ではあるが、十分ではない。
いろいろな経験から高等技術を身につけていく方がより実践的である。ライセンスは、一定の業に対して漏れのない知識を求めている点で、必要条件なのだ。
かく言うわたしもライセンスを取得してきた。
家を建てるために電気工事士の資格もあれば、昔のサラリーマン時代に必要とされたラインセンスもある。
これから受けようとしているものもあるが、いずれにせよ資格を持つことでより幅の広い業が実現できたり、より広いネットワークを構築できたりと良い面はある。
どのような資格を持って活動するかは、人それぞれ。
自分の職域を広げることができるライセンスは、社会人にとってやはり必要なものである。
わたしの電気工事士取得は、たった1週間で合格したもの。
一読されては?
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祭りの計画を立てる。
学習の計画を立てる。
いろいろな場面で計画を立てるが、その際の大事なこと。
それは、計画を立てる内容が想像できているか?ということだと考えている。どのような情景なのか、おとなたちが来る、子ども達が来る、お年寄りも来る、
そうすると、どのようなものが必要?
時間帯はこうしよう・・・
いろいろな条件が出てくるはずだ。
それらは自分たちがイメージしている内容をくまなく網羅しているものになっているはずだ。
チェックリスト形式で計画を立てることもあるが、ある程度型が決まっているなら良いが、そうでない場合はチェックリスト項目そのものに想像できないことが欠落している可能性がある。
つまり、計画とは、イメージを形にするということだ。実現するということだ。
学習計画を立てるときも、自分が想像できないようなことは計画に挙げることができない。あれもこれもやりたい・・・でも、実現できるの?
やった後の自分を想像できるの?
漏れがない計画は、複数の人間でお互いのイメージを出し合うことで達成できるのもそのためだ。
想像する力が必要なのである。
私のサイトでもいろんな情報を載せています。
一読を。こちらです。
デイリー情報も始めました。 こちら。
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田舎の祭りは子どもが主人公になる。おとなたちは子どもを巻き込んで何をしようか考えなければならない。
私たちの田舎は御輿を担ぐ習慣はないので、その分行事を自治会が考えるのである。
それで今回は?
ほうとう作り体験、餅つき体験である。
子ども達に手作りの楽しさ、自分が作る料理のこだわり・・・などを通して心の豊かさを感じ取ってほしいと願う。
師匠は地元で手作りそば打ち店を経営されている方で、とてもスマートだ。(スマートは英語の方で理解してくださいよ)
このようなイベントひとつとっても、こなしていくには条件がある。
それは何か?
全てのことに共通する「なにか」である。
わたしはこの祭り主催会議に出席しながらそんなことを考えていた。
それは、次回。
こころ塾サイトは、Movable Typeでリニューアルです。
がんばるためにも、のぞいてね。 こちら。
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漢検や英検など子どもたちがいま現在取り組んでいることを反省を含めて書いてきたが、実はわたしも資格試験を経験した。
なにか???
電気工事士である。
サラリーマン時代にも「高圧ガス化学甲種試験」などあったが、今回の資格試験は必要に迫られての取得である。
しかも、1週間足らずしかない学習期間を効率よくマスターしていく、まさにマスターロードは短くはあったが、厳しい物であったことはいうまでもない。
ずぶの素人が短期間で受かる代物ではないと周囲からずいぶん言われはしたが、自分の家を自分で造る、セルフビルダーにとって必要な資格なのだった。
普通は、実務経験があって数年必要らしいこの試験。
でも、やりようによってはわたしのように1週間位の試験で受かってしまうのである。
その秘密は?
それはわたしのサイトで紹介していこうと思う。
わたしのサイトはこちら。
(でも、まだ情報は更新されていません。いま自宅にはいませんので・・・)
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漢検も英検も同じように学習すれば必ず受かる。
が、英検は日本語能力検定ではないので、それにあわせた学習にすればいい。しかもまだ学習していない箇所を、まだ習っていない漢字と同じように考えることにも無理がある。
が、基本は同じ。
ちゃんと合格を勝ち取った中学1年生のケースを紹介しよう。
それは、私のサイトで読んでください。こちら。
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合格は間違いないのだが、問題は合格にいたるプロセスにある。もちろん最初から合格できるレベルにあったわけではない。
この生徒の場合、この4月に5級を受け合格、夏に4級を受け合格した後の今回の3級受験である。学年は中学1年生だ。
検定だけではなく、試験を受けるときのマスターロードはただひとつ。
中学入試~大学入試も同じことがいえる。
それは・・・
ポイントとそのプロセスについて、私のサイトで詳細に紹介している。
こちらを見てほしい。
学校受験なので、今日が検定日だ。
受かるのは間違いない。
問題は、何点で受かるか、だ。
詳しくはこちら。
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大げさと生徒に言われてしまった。
でも、です。小学校1年のころからかけ算をそろばんでやり始め、いまでは2桁どうしのかけ算も容易にこなしている子がいる。
この子はかけ算(九九)を覚えているわけではない。
いま、学校では九九の学習をしているらしい。しかも、2の段と5の段をやっている。もちろん、学校の進捗で九九を覚えているので、2と5の段だけだ、覚えているのは。
今日、できる?とか言ってやってみせてもらった。
うん、うん、たしかにこれくらいか。
でも、子ども達は2桁どうしのかけ算をやって見せてくれるので、九九を覚えるとそろばんの速さがどうなっていくんだろう・・と楽しみなのだ。
九九を知らなくても学習するやり方はある。
むしろ、九九を知らないうちからそろばんでこんなこともできる、とやっていくことの意味は大きい。
なぜなら、そろばん自体が計算機なのだから。
反復に強いのだ。
それを自ら証明してくれていることに、驚きとうれしさが実感できるプロセスである。九九ができるようになってからでも遅くはないが、九九が必要条件ではなく、十分条件であることを理解してもらいたい。
「え?九九を知らないのにかけ算をそろばんでやっているんですか?」
このまえも保護者の方からこんな質問を受けた。
「えぇ、そうですが・・・なにか?」
驚くかもしれないが、そんなことができるのがそろばんなのである。
ブログ化サイトはこちら。
そろばんサイトはこちら。
そろばんができるメリットはそれだけじゃない。ちょっとした理解と指使いの速さが、その後の子ども達の生き方に大きく影響を与えてくれる、秘められた宝なのである。
皆さん、知っていますか、その実体を。
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中学の場合は、授業をしっかり受けていれば入試にも対応できる。学習指導要領に基づいた学習と入試問題は、いずれも対応しているからだ。
そう思って高校に入って、同じように学習していても、模擬試験問題すら解けないことに愕然とするらしい。
基礎は学校の授業にあっても、そのまま出題されることはなく、その人の理解度が試される問題になっているということである。
中学では、学習から大きくずれた問題を出すことはできない。逆にいえば、「普通」の勉強をしているならば、入試でも平均点くらいは確保できる。
そのことは、私が分析した塾専用のテキストで紹介しているのだが、「これが解ければ平均点はとれる」問題をまとめたもので、生徒が学習すると容易に得点できることをわかってくれるのである。
この程度の問題。
それが、どの程度の問題で、入試で何点とれるか、を科学的データに基づいて指導すればいいだけなのである。
とはいっても、それが難しいから、私の持っているデータを公開している事例を見たことがない。
このデータ。
これがあれば、さまざまな応用が効く。
入試問題に対して、50%くらいは解くようにしたい、80%は解きたい、というレベルを問題に照らして紹介することができるわけだ。
難易度が高い高校になると、特に効果を発揮するのだ。
このような指導は、ノウハウに走りすぎた偏った指導になることを十分意識しておかねばならない。
たしかに出る問題を効率よく解くことは可能になるが、ほんとに理解しているのか、その根本のところを生徒にあわせてしっかりフォローしなければならない。
そうではあるにせよ、生徒たちの動機付けにはなるデータなのだ。
詳しくは、ブログ化した私のサイトに公開しているが、まだブログ化に伴う情報量の少なさゆえ、もう少し時間が・・・・
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とうとうやってしまった。自分のサイトをMovable化したのである。
タグがまったくわからない素人ではあるが、やればできる。ということを子ども達にもわかってほしかったので。
ブログ化してしまえば、楽だ。
楽とは聞いていたが、ホントに楽だ。
ただ、更新の際の情報に写真などを挿入するときに、タグを操作しなければならないので、素人には大変。
でも、一度作ってしまえば、同じようにやれば良いだけ。
ファイルを格納するフォルダもできるだけわかりやすく分類し、あとあとでも間違えないようにすればいい。
こういった自信も、最初の一歩を出す勇気があったからだ。
だめならどうしよう、
もちろん考えた。
大したことではない。もとに戻せばいいだけだから。
迷子になったらもとの地点に戻る勇気さえあればいいことと同じだ。
ブログはいろいろなテンプレートがあるので、そこも楽しみの一つである。
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いゃ~、時間がないんですよ、とにかくなんとかしてください、先生!!!
せっぱ詰まってくるこの時期になるとmかならずこんなふけいの声をいただく。
そんなこと、最初からわかっていたはずなのに、、、
なんにもしなかったツケがいまくるのだ。やらなくちゃいけないことがたくさんありすぎて、結局なんにも手がつかない、というわけだ。
でも、当の子ども達はあまり意識していないことが多い。この期に及んでも焦るのは親だけか・・・
ホントになんとかなると思っているのだろうか・・・
なんにもならないのに。
でも、頼まれると嫌とはいえない。
ここまで放っておいてどうするつもりですか!!!と言いたいのを我慢して、「なんとかしましょう。」となってしまう。
押し切られ負けである。
時間がないのだから、やるべきことが本人の実力にあわせてすぐに出てこなければならない。目標とする高校との突き合わせのなかから、やるべきことは決まってくる。
はやり、ここでも私の必殺技が登場するのだ。
高校入試合格に必要なレベル、まちがいなく解かなくてはならないレベルを、科学的根拠に基づき教えることで動機付け(つまり、やる気にさせ)、的確な問題をがっちり解けるようにする。
データ学習 である。
最後にこれに頼り、本人が納得できるかたちで学習を進めるのだ。
動機付けができさえすれば、後は簡単なのだ。
問題もこれさえ解ければいい、と理解してくれる。
そのカラクリはこちら。
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ブログであろうが、口頭であろうが同じである。
なにが???
やらないことにはわからないことばかりだ。
嫌なことまでする必要はないが、根っこにある考えが同じならば、とりあえず受け入れ、自分の判断ができる環境に身を置きたい。
あくまで誰に害されることなく、自分の判断ができることが前提だ。
動きたい要求はあるか。
自分の考えをそこで生かしたいか。
実行することで自分がどう変わっていきたいのか。
いろいろあると思う。
なんでも良いが、経験することの意味深さを感じ取ってほしい。
経験こそ力だ。
経験することでイメージをとらえることができる。
イメージができないことは、うまくいかないのだ。
なぜか?
自分が納得していない、理解していないことが、どうして達成できるだろう。
イメージは理解の根底を形成していることを「理解」してほしい。
高校入試にあえて結びつけるが、経験を科学的に分析したデータがある。ここだ。
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小学校から私塾に通い、勉強力を身につけるのも良いが、小学生という年齢だからこそしなければならないことがある。
親子学習と習慣づけだと考えている。
決して良い成績でも、悪い成績でもない。
これは結果。
中学、高校の子ども達を見ていると、自分で考えるという意味がわかっていない???と思うことがある。
親は勉強!勉強!と子ども達にけしかけはするけど、自らどうやればいいか、こうしたら別の見方ができる・・・といった子どもとの刺激合いはあまり聞かない。
できないから、塾に行かせる、という理屈はわかるが、毎日少しずつ実践と成果を積み重ねるのは家庭しかないのだから。
塾は、毎日の学習のコツを教えたり、わからないこと、もっと知りたい、といった確認の要求を満たす場である。
そうであるなら、最終目標である高校入学、大学入学をめざして塾ならではのノウハウを教授していかねばならないのだ。
そのひとつが
「これだけやれば高校に受かる」問題集を作成したのだ。
しかし、この問題集は中3しか渡さない。
ノウハウだけが先行してしまうことがまずい。
ただこの問題集をやれ、ということではない。
ちゃんとした科学的データに基づいて説明し、動機付けしていくのである。
ただやろう!ではなく(それは家庭学習のなかでやればいい)、こういう理由からこれをすることが良い結果につながる、との説明が必要だ。
しかも、その子にあったレベルでだ。
それが知りたい方はこちら。
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「ここは覚えよう!」「ちゃんと理解した?」
しかしだ。
1週間たつと、ものの見事に忘れ去っている。
こんな経験をした人も、見た人も多い。
仕方ないので、同じことをかたちを変え、見方を変え、理解を促す。
また、1週間後には更地状態。
変だよね。
つまり、この主体者にとって、「理解する」「わかる」という動機付けが全く無い内容を理解しようとしているのである。
いや、理解しようともしていないのかも知れない。
1週間のあいだに忘れ去ったのだろうが、「理解した」「わかった」といった直後に理解から遠ざかっていたとも考えられる。
繰り返しあるのみ。
学習することで、こんな風にしたい、こんなことができて良かった、というちょっと先のイメージすら持つことなく、なぜ学習しなければならないの?のスパイラルに落ち込んでいる子がなんと多いことか。
学習指導をしていても、最後には学習法だったり、学習のための動機付けで終わってしまうのは寂しいことだ。
どうでもいい、という後ろ向きの思考がその根底に見え隠れするものだから、「やろう」ではなくて、こんなにやったらこんなにできた!と自分の経験を認めていきながら、将来を見た気持ちの整理ができてくれたらいいな、と思うのである。
すべては良質な情報のなかにある。
それはこちら。
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息子が自由研究で県選出された際に、昨年の発表要綱集を見るチャンスがあった。
これはおとなの手が入っているな、ということがわかってしまう。
別におとなが介入しても良いと思うけど、あからさまな表現はいかが?
また、テーマの選出がおもしろい。
私がいる県も、高校入試に新制度を導入してきたので、このような県選出はメリットがあるのか。大学でいえばAO入試のような制度だ。
そう考えてみると、大学で実施している新しい制度を、高校入試に落としこんでいるような感もある。
昔の単なる推薦入試も、いまでは、いろいろな生徒を受け入れるということ、学力検査にこだわらない個性ある生徒を受け入れたい・・・・
だが、いったん高校に入ってしまうと、どのような制度で入学しようと、学力でついていけないようでは困る。
個性が高校で生かされる土壌があって、受け入れているということでなくては入った生徒がつぶされてしまう恐れを感じるのだ。
だから、大学入試でやっているような制度を高校に導入したところで、しょせん大学ではない以上、子ども達の負担を感じるのだ。
と言うことはさておき、やはり入学してもちゃんと生かせる学力がないと始まらない。
それが高校の学力検査なのだから。
学力検査を効率よくこなしながら、実力を付けていく。
わたしの入試までの作戦はここに集中する。
で、なにをするか。
それは、こちら。
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なんど試験を受けても成績が上がらない。でもよく聞くと、まったく勉強しないで試験を受けていたり、毎日の積み重ねがないままの試験だったりする。
準備をしないで試験を受ける。
何とかしたくても、結局やる気を起こすための時間を割いているだけで、学習そのものの時間に費やせないことがあるのだ。
人それぞれだから、なにも学習だけが全てではない。
よくわかっている、みんな。
学習する=自分で考える
でもどうせだったら、もう少し要領よく勉強したり、楽に試験を受けることも間が対のだが。
時間に比例しない
それは、集中、やる気、要領など、頭のからくり以外の部分で達成することができる。
私の例で言えば、科学的データに基づいた学習をすることが、目標に近づく方法のひとつだと位置づけている。
興味がある方はこちら。
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どうやったら学力が上がるの?
成績は?
とよく質問されと、ここに来なさい、と言うけど、まぁ営業かと思ってしまった人は、残念ながら成績は上がらない。
お母さん、お父さんといっしょに勉強するのが良いよ、といっても中学生の子ども達の勉強を見るのは大変だ。
高校入試が迫った中3は、この質問が身に迫っている。
でも、わたしは学力アップのほかに、必殺技を持っている。裏から?とんでもない。
正々堂々と立ち向かうための必殺技である。
こんなことを言うと、えっ!そんなものなんてあり得ないよ。ちゃんと勉強しなさい、と言うんでしょ!
と、返してくるのだが、
私の分析した資料を見せると、う~ん、うなずいてしまう。
効率よく学習する必殺技ってなんだ?
あったらいいね。
でも、ぎりぎりの技がある。分析し尽くした、根拠ある情報だとつい納得して学習するんだね。
あまり難しいことを言わないで、本人が納得しながら、科学的データに基づいた学習をすれば良いだけだ。
これは学習方法を言っているんではない。
学習そのものを直球で勝負するのだ。
そんな情報を知りたい人は、こちらから。
dめお、ここに書いてある情報を、まさに今追加している。追加というより、大きな情報の公開なので、こちらの情報の方がメインになるかも知れない。
そんなビッグな学習をしたい人だけ見てね。
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そこにあるということに意味があると考える人と、それは偶然だという人がいる。
必然と偶然の違い。
サラリーマンから脱し、個人事業主としていろいろやっていると、「意味」ということに敏感になってしまうのだ。
いまこうしている。
こうしなければならない。
こうなった。
なぜか。
全ては、自己責任から出てくるからである。
上司がいるわけはない。
こうしなさい。
指示だ。
こういうことがあると、そのためにすることに意義を見出すことができる。
考えなくても良いわけだ。
いや、考えた結果として、そうした理由があったとしてもだ。
そこにある「安心」という、ほかに依存する気持ちはぬぐえないのだ。
個人事業となると、逆に「意味」が大きくなってしまう。
自分の責任を自分がとる、きわめて当たり前のことだが、上司がいないシステムの違いを実感するからである。
ビジネスプランニングをやっているいま、そんなことを漠然と考えてしまった。
ところで、今日中学生が学習しに来て、ある問題を集中的にやった。
これができなければならないという必然性を教えなければならない。
解かなければならない基準を私が持っているからだ。
しかも、厳然たる基準なので言い返しがきかない・・・
それは・・・
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学校での学習に電卓を使うことは許されていないが、もし、そろばんを使っても良いよ、となると使いたい子ども達ばかりだ。
それほどそろばんは計算をするのに役立つ。
暗算でやればいいのだけれど、そこはちょっと・・・と思っている子どもからすれば、そろばんは電卓なのだ。
小学校の算数をやっていても、そろばんを使っていい?と言う子どもが必ずひとりはいる。
そろばんが使えない子からすると、筆算でやるしかないのだが、そろばんができる子は、筆算よりそろばんの方が楽なのである。
やっている人しかわからない「電卓」
でも、これが使える子ども達が少なくなっているような気がする。
海外の方が盛んに使われている、というようなことを聞くともったいない。
そろばんをすることで、救われた子がどんなに多いことか。経験した家庭しかわからない事実なのだ。
自宅でもそろばん学習ができる教材があります。こちら。
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そろばんで計算ができるようになると、そろばんが手放せなくことがわかってきた子どもがいる。
暗算や筆算でやるよりそろばんの方が「楽」なのである。
たとえば、わり算。
面倒くさくなると、引き出しからそろばんを引っ張り出して計算を始める。
以前はそんなことなかったのだけれど、そろばんの楽さに気づいたのだろう。
わり算をやっていても、中身は九九なので、かけ算の手法を利用できるというそろばん独自のメリットがあるのだ。
つまり、わり算でかけ算の意味もしっかり理解しながら計算ができる。
そろばんをやったことがない人には理解できないかも知れないが、そんなに難しいことではない。
知っているか、知らないか、の世界だ。
だから、知ってしまった子ども達は、そろばんを手放せない。
だからといって紙上のそろばんなしの計算ができないというわけではない。
頭の中にそろばん珠がイメージできるから、以前より計算も速くなっているのだ。
これはもう経験済みのこと。
そろばんのありがたさである。
そろばんに興味がある方はこちら。
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もちろん断定できるものではない。が、受験生としては目標は必要だ。
競争率と難易度(偏差値)によるのだから、目標とする高校なり、大学のデータを入手するしかないだろう。
一般に私立高校の場合は、合格者を増やしていると聞くが当然だろう。県立高校では、これも高校により変わるが、落ちる人数の方が少なく、合格者も余分を考えずに決めることができるようだ。
過去問を解いて、何点とれるか、過去のデータと付き合わせて自分がどの位置にいるかを確認する必要がある。
平均点もとれないようじゃぁ、自分の学習方法が間違っているか、勉強していないか・・・
方向修正をしながら得点力を身につけなければならない。
もうそんな時期になっているのである。
私のところも平均点以上を目標にしているが、それにはいくつか理由がある。
それはこちらに書いているのだが、入試問題を効率的に解くメソッドも必要な時期に来ていると思うからだ。
早い生徒は2ヶ月後には入試に突入する。
やるべきことはしっかりやる。
そのためのメソッドが必要なら、私は生徒たちに良質な情報を伝えてあげるのである。
興味がある方は、こちら。
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入試を受けて合格するにはどうするか。
勉強して問題を解く力を身につける必要がある。
長年子ども達の学習をみてきて、グググッと伸びてきたという経験がない。学習してはいるのだが、どの段階で、時期で伸びてくるんだろうと見ているが、臨界点のようなものが見えてこないケースが多いのだ。
その原因について過去にさかのぼる必要があるのだろうか。
たとえば、小学校のときはどうだったのだろう、その子の性格は?
関連があるのかどうかわからなくても、伸びる要因をつかむための情報をこの手にしたいというわけだ。
これは正攻法かも知れない。
だが、入試にデータマイニング、データ分析を行うケースがあることをつい先日まで知らなかったのだ。
偏差値とか、競争倍率の類のデータをいっているのではない。
自分の力のレベルを知り、次に何をするかをデータで考えようということだ。
そんなのできるの?
と思うかも知れないが、私のところでは重点学習ができるシステムを作ってしまったのだ。
データがやるべきこと、方向性を提示してくれ、私はそれが子供にあった内容かを確認しながら、子ども達のレベル、力をみるということだ。
これは、もうすぐ入試を控えているからこそ考えたプロセスなのである。
興味がある方はこちら。
ホントにびっくりします。
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データマイニングがとりだたされ始めたのは、PCの性能が格段に上がったから、といわれている。
たくさんあるデータのなかから、関係(法則)を見つけるためにPCを使うのだから、当然高性能が要求されていたのだ。
マイニングは、「鉱物」と訳されるが、数ある鉱物のなかから貴重なものを選び出す技法として、一躍名乗り出た感がある。
データマイニングとはいわなくても、これまで経験したことがある技法を使ったことがあるはずだ。
回帰分析
である。
関係がある2つのパラメータをひとつひとつ関係があるかどうか調べていくのだ。
関係があるかどうかは、相関係数を調べればわかる。
実は、高校入試問題にもこの相関係数を入試結果分析に使っている実例がある。
民間企業が分析したデータではない。
某当局によるデータである。
私のCD-ROMに収録しているが、結構ショッキングなデータである。
日頃から頑張りなさいとしかいえないが、一方で、データマイニングにより入試問題を分析することもできる。
すでに数・国・英について分析が完了しているのだが、残り理・社も分析する予定だ。
で、何がわかるか。
勉強が苦手な子どもには、よく平均点を目指せ、できる子には8割を目指せと言う。
現実的には、平均点をとらなくてもある程度の高校なら入ってしまう。それは、競争率が支配しているからで、相対的に「下」にいなければ良いだけだ。
みんなそう思って勉強しているのだから、具体的にどこまでやればいいか、が問題となる。
そこで検討するための資料と分析が必要となるのだ。
ただただ、がんばれ!もありだが、ちゃんと説明し、動機付けやきちんとした背景を持って努力させたい。(でも、最後は「がんばれ!」になってしまうけど)
それを可能にしたのが、CD-ROMに収録された情報だ。
かならず納得した努力が期待できるからだ。
興味がある方は、こちら。
私のサイトはこちら。図書館もオープンしていますよ。
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これは使える。
たくさんある情報のなかから、データどうしの関連性を見つけるのだ。
風が吹けば桶屋が儲かる、もデータマイニングのなせるワザかも知れない。
つまり、データがあれば、それを結んでみて、関係があるかどうかを調べるわけだ。もちろん、その間にある関連あるデータも関連があるかも知れない。
たとえば、学習にたとえると、自分の成績を時系列に並べて、上がり調子なのか、下がり気味なのかを知ることができる。
でも、これは時間というデータとの関連とはいえるが、じゃぁ、明日の試験は下がるだろう・・・なんて予想しない。
あのときは勉強しなかったから成績が下がったんだ、とか考える。
つまり、時間軸はパラメータではない。
より、本質に近いデータ(パラメータ)が存在している。
それを探すことができればいいのだ。
データマイニングはそれを可能にできるツールである。
私が作成したCD-ROMは入試というさまざまなデータを、データマイニング化した情報なのである。
興味がある方は、こちら。
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なじみがない言葉に、正答率がある。
入試問題(高校)の問題を分析したときに、各問い正解した人数の割合をいう。○か×かならば、平均値を求めることができる。
国語のように、文章を書く問題では減点、加点などがあるので○×にならずに、点がもらえることがあり、このときはそれを加味して「通過率」という言葉が出てきたりする。
使用する語句は県により異なると思うので、はっきりわからないが、各問いに対して正答率がわかるとどんなメリットがあるか・・・
これだけでわかる人にはわかると思うが、どのような得点構成をすれば、点が獲得できるか?
しかも、容易な問題をどれくらい解けばいいか、という難易もわかるのである。
これは裏情報に基づく開示ではないので、公開しても良いかも知れないけど、分析そのものは、独自のものなので、ちょっと公開はできなくて・・・
平たく言えば、できる問題をミスなく確実に解くこと。
できる問題のレベルを自覚する。
これにつきる。
私の分析は、先に作成したCD-ROMに、追加で収録する予定です。
ここまで分析できる、という情報です。
知りたい人はこちらから。
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どこの高校に入りたい、学科で学びたい、という目標よくを聞く。そのためには偏差値これくらいはとっておかないと、なって学習の目標が決まる。
受検生(正式には受験生ではない)にとっての目標が決まる。
一方、高校側というか、問題を作る側にも目標がある。
作問側に立ってみれば、
・これくらいの問題は合ってほしい。
・この問題、領域は理解できているのだろうか。
・昨年はこの問題で間違えているので、今年はどうだろうか。
・やさしい問題ばかりだと差が付かない。
・さりとて難しいと、これも差が付かない。
こんなことが背景にはあると思う。
中学で学習した領域を超えない範囲で、
・難易を付ける。
・選択肢と記述解答を散りばめる。
・特定の領域(単元)に偏らない。
まぁ、ちょっと考えただけでもこれくらいは検討した問題になっているはずである。
それに、出題した問題は後々まで残るので、「良質」かどうかを気にするはずである。
選択肢ひとつとっても、肢ひとつひとつの問題の良さが評価されるのは、あとからである。しかも、結果が残るので、曖昧な問題は作れない。
にたような選択肢でも、違いが明らかでなければならないのだ。
その違いは、学習した範囲で明らかであると言うことだ。
そういった評価について書いたのがわたしのCD-ROMの特別付録編である。
興味がある方はこちら。
いずれにしても、そうやって作成した問題には、目標点数が作られているのだ。
先に述べたことを前提に問題を作ると、当然目標となる点数が設定される。
採点後に、分布をとり、目標との違いを検討するためである。
それが、現場にフィードバックされ、学習課題が設定される。
こんなプロセスができあがっているのが高校入試、しかも県立のケースである。
私立などでも同じことがいえるのだろうが、公開情報がないのでわからない。
わからないだけで、同じだと思う。
その点ときちんと分析したのが、CD-ROMに収録されているのだ。
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名探偵コナンになれ!
こう言ったら、生徒たちは笑ってしまう。
事実をつかむ。
↓
仮説を立てる
↓
事実と仮説を比較し、矛盾を見つける
↓
仮設を正論にする
ワンパターンではあるが、犯人(答え)を見つけ出すプロセスが詰まっている。
問題を解く場合も同じである。
解を見つけるために、問題に書かれている事実を把握し、頭の中で整理する。
矛盾することはないだろうが、事実を組み合わせて、自分なるの筋道を作るのだ。
これが仮説であったり、あるモデルであったりする。
自分が採用した仮説があっているかどうかを、計算などで確認するのだ。
現代文でも当てはまるのか???
それを考えたのが、私が作ったこれです。
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全体構造を理解することと、細部を理解することが同じでなければならない。
たとえば、パソコンがあったとする。
マニュアルを見ながら、使い方を理解していくのだが、最初に目的がある。メールでやりとりをしたい、インターネットを見たい、文書を作りたい、などなど。
だから、たとえばメールなら、メールを送受信できるためのマニュアルを確認しながら、やり方をマスターしていくのだ。マニュアルを見るのはそのためである。
この段階ではメールのやりとりをする全体像を知ることはない。
イレギュラーなトラブルが起こると、対処できない段階である。
トラブルを経験することで、対処の仕方を理解し、徐々に全体的な仕組みを知ることになるのである。
そうなると、事前にトラブルを避けたり、より高度な全体的な構造を理解することもできるようになる。
こうしてみると、全体像とは、各人の目的に応じて変わるべきもので、全体と思う構造を理解していくと、その細部も見えていることを理解するのだ。その逆もあり。
ある一定のマニュアルを理解するだけでは、物事はうまく進まない。それは、目の前の小さな道を歩いていても、その道がどこにつながっているのかわからない状況だ。
この道で良いのか。
早くいくのか、遅くても良いのか。
右往左往しながらでも、全体地図を把握する必要がある。それは、自分がどこに行きたいのか目的があってのことである。
私が書いた「読本」もその全体と部分を理解することにある。
全体像を知る根拠。
それが良質な情報である。
良質な情報に基づいたデータで、ものごとを考える習慣をつけてほしい。
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なんとなく、感覚で問題を解いていると、いつまでたっても解いたときの充実感はわかりませんよね。
新しくCD-ROM(e-book)を作成したあと、いろいろな本を読んでいてわかったことがあるんですね。
これも、そのe-bookに追加しなくちゃ、と思うくらいの内容だったんです。
でも盗用ではないからね。
私の視点で考えると、その本が言っていることが、別の内容を主張していることがありますよね。
つまり、切り口を変えて捉えたということです。
書いた側もそうは思わずに書いている内容なんですね。
現代文は、
・話す
・聞く
・書く
・読む
を畳層的に捉えることを自然にやっています。
というか、こういうことを日頃の学習で身につける訓練をしていますよね。
これらの領域をいかに学習していくか。
塾ではどうでしょう。
バランス良くできているのでしょうか。
自宅学習では?
一般的な学習スタイルを考えると、教科書の内容を音読したり、学校で配布されたテキストを解いたりします。
一方、先生側は、さっきの3領域をいかに学習していくか構想をもって進めているのですから、どちらかというと確信的に誘導することがあります。
これは、国語に限ったことではなく、他の教科でも同じことがいえます。
実際、私も問題を捉える切り口は、誘導的な部分がありますからね。
逆に言えば、誘導されることにより、なんとなくわかった気になることがあるんです。
実は、それが言いたかったんですが・・・
教える側は、自分がわかっていることを教える。
教えられる側は、わからないことを誘導されながら理解していく。
良い面、悪い面あるかと思いますが、教えられる側で考えると、いかに全体像、全体構造の中のどこを学んでいるかを理解しながら、誘導されてほしいと思います。
応用が効くような理解の仕方があるとするならば、それは、全体構造のどのあたりを学んでいるかを知ることが最初だと思いますから。
だから、いま教えていることが全体なんだ、のようなことは後々困ってしまう可能性を持っています。
全体像を把握する。
これにつきるような気がします。
全体像を知るうえで、目的とかねらいなどが重要な役割を果たすんです。
そんなことを考えながら、やっぱりCD-ROMにのせなきゃいかんな、と思った次第です。
で、気づいたことって?
それは、わたしのCD-ROMを見ていただきたいんです。こちらにてPRしています。
国語を学んでいて、そうだったのか、ということが出てくるんですが、世の中には出回っていない情報なんですね、びっくりしました。
知っていると学習の方向がわかります。
それ以上に、このような情報のソースがもっと大切です。
単発な情報も大切ですが、それも全体像のなかのひとつなんです。
全体がなにを言わんとして、この単発情報があるのか・・・?
わたしのCD-ROMはそのあたりのことを把握することもできますし、単発情報も含まれています。
是非、一読していただきたいです。
興味がある方は、こちら。
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現代文を気分で解いている中学生、受検生(受験生じゃないぞ!)
なんとなく解いていて、答えに実感がわかない中学生、受検生。
こんな中学生は多い?
高校生でも同じようなことを言うんだよね。
現代文なんて、どんな問題でも解く(書く?)けど、さっぱり合っているという実感がないんだよね、ってね。
解いているんだけど、答えのイメージがわかないらしい。
どうせそんなことくらいだろう、とは思っていたけど、結構多いみたいだ。
でも、いくら中学生や高校生に学習を教えているとはいっても、そこにメスを入れようなんて思いもしなかったんですよね。
それは・・・
ある中学生が、国語を習いたいと言いだしたことから始まった。
僕が国語を教えていないことはよく知っていたのに、その子はなんと国語!!!と言いだした・・・
できる、できないと考える前に、どうして僕に国語を教えてほしいと思ったんだろう。
勉強、というものは底を流れているものは同じだと思う。
学ぶ形態は違うけど、それを見る姿勢のようなものは同じで、切り口をかえていることを意識しながら底流をのぞき込む。
そんな感じでいっしょに学習しているのだ。
そのような経験から、最近、高校入試のための読解と作文を科学的にやろう!というe-bookを作成した。
その子のおかげだと言っても良いか。
良質な情報提供の一環としてのe-bookだ。
作文にも力を入れた。
作文や小論文を書くテクニックも伝授してある。
テクニックと言うけど、ある意味、技術だ。
こう書けばいい。
これは、ちゃんとした技術的背景や根拠がしっかりしているから教えることができる。どんな課題作文が与えられても、これさえ知っていれば大丈夫。
そんなテクニック、知りたいですか。
こちらをチェックしてね。
この教材は、テクニックだけじゃないんです。
その根拠となる情報も合わせて書いちゃいました。
生徒の利便性を考えてのことです。
情報の裏をとるリンクもあるし、結構至れり尽くせりの情報になったんです。
それは ・・・ こちらをクリックしてくださいね。
紙情報も販売していたんですが、あまりの申し込みに追いつかなくなってしまいました。
それで、ダウンロード版とCD-ROM版にしたのですが、CD-ROM版は毎日大変です。
発送が。
まぁ、みなさん、どんなものか見てみてください。
こちら。
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偽薬と訳されているこのプラシーボは、薬の作用はないけど薬と言って服用すると効果を上げるものらしい。
鎮痛薬など一部効果が認められ使用されていると言うことを聞いた。
これを飲めば治るからね、といって安心することで、普通のビタミン剤が頭痛薬としての効果を出すようなことなのか。
この話を聞いて、こどもたちにも学習版プラシーボをやっているのかな、と思う。ちょっとヒントをだしてわかって答案を書き出す。正解だと「すごいぞ!」と誉めるのだ。
「こんなヒントがなくても解けるよね。」と言いながらヒントを出すこともある。
あるいはまったく関係ないヒントでもプラシーボ効果を発揮しているのだろうか。頑張った自分に対して充実感を味わいながら、次の問題を気をよくして解いていくというわけだ。
別にだましているわけじゃないけど、偽薬の名の通り、プラシーボは人の気持ちを安静・安心にしてくれ、次のステップに向かいやすくしてくれるようだ。しかもプラシーボ効果らしく問題解決も早い。
わたしと子供たちとの信頼関係がないと、この偽薬も効果がない。もっと積極的、もっと集中して学習できる環境作りにこのプラシ-ボが役立つのだと思う。
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いつも子どもと接していて、「わかる」ときの感覚が理解でき、その状態を身体で覚えていくプロセスを意識していく。
速習学習をさらに発展させていくと、問題を解決するさいのプロセスが見えてくる。ここにきて「わかる」プロセスと一致する。
・わかるプロセス。
・速攻学習プロセス
いずれも、そろばん学習から体験したこと、高校受験や大学受験の経験を通して得た学習スタイルである。
もちろん、算数や数学だけでなく、いろいろな学問に適応できるようプロセスを抽象化することも学習成果を見ながら考えている。
結果として受験に成果が上がればいいので、理解するプロセスをこどもたちにしっかりマスターできるよう、この成果を伝えていかなければならない。
構想は固まりつつあり、具体化も間近い。
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速攻学習法が、この学習方法を採用したとたんにすぐに知識が身に付き、成績がアップするための資料だと誤解された方がおられたようですが、説明不足ですね。申し訳ありませんでした。
どのようなことかわからない方は、わたしのサイトで【速攻学習法-無料ダウンロードセミナー】で紹介しています。そちらをまずは見てください。メインページはここからです。
→こちらをクリックすればダウンロードサイトに直接つながります。
べつに、おしかりのメールが来たわけじゃないのですが、ある方から「●●中学校の特性」というのはどういうことか?というメールをいただきました。
受験に役立つのか?と。
ちょっと考えてしまいました。もっと具体的に書いて!というメールだったのですが、このあたりのことを少し補足しようと思いました。
中学校の特性、というのは別の言い方をすると中学校に在校する生徒の特性でもあります。教師の特性も影響されているのですが、そういうことも含めて生徒の特性が中学校を決定づけます。
いわば、その中学校の文化です。
その基は、家庭にあるでしょう。家庭の文化的側面のうち、中学校生活に則した部分が大きく影響を与えていると思います。
良い中学、悪い中学、という切り口ではありません。
文化です。
わたしは、こどもたちの成績を上げてあげる、理解を促すことを主目的にこの私塾をやっていますが、その背景には子どもを理解するという大きな動機があります。
子どもを理解するには、その文化的背景はとても重要になってきます。
だから、わたしに東京の中学、高校のことを話せといわれても今はできません。共通認識としてはもの申しますが、具体的には「ここ」がメインです。
こどもたちのことを考えながら、具体的に体験するなかで、わたしの●●中学校の特性が誕生しています。
受験に役立ちます。学習方法の核心をつかむことができます。
といって、複雑ではありません。当たり前と言えば当たり前のことですが、これを説明すると皆さん理解してくれます。自分にも、自分の子どもにもできるという動機付けになります。
科学的でもあります。
わたしが高校生に大学受験指南をするときも、基本的には同じような方法で効果を上げてきました。
ただ単に、こうすれば成績アップ!という内容とは違います。
ここでお教えすることはできないのが残念ですが、多くのこどもたちの成績やテスト内容を観察していくとわかってきます。わたしの「ミス」の科学もそうですが、具体的事例から共通認識を作り上げ、それをこどもたちに説明してあげるのです。
山梨県も高校受験が全県一区としてスタートします。
今のうちからこうすればこうなる、だからこんな方法でやってみよう・・・といった自分がどんなことをすればどんな結果になるかを知りながら、目標に近づいていくことが必要です。
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こうすれば成績が上がる!というノウハウなんてない。
ノウハウを追求していくより、実体のあるものを追いかけてゆくべきだと思う。
でも、成績を上げたい、という要求に対して明らかに間違っている方法、こうすればもっと効率よく学習できる・・・といった反省すべきことはある。
それはちゃんと言ってあげて、成績が上がるような学習プロセスをマスターすべきだと思う。
つまり、その程度のやり方はあるが、あとは自分のやる気があるかどうかだと思う。そのために子どもたち、親御さんとコミュニケーションをとり、動機付け、初心を忘れないようにすべきだと思う。
単に、右脳を開発したら成績が上がった!なんて言うことは現実にはああり得ない。ブラッシュアップは必要だけど、右脳開発に全力を注ぐ、なんてできない。
一方、そろばんは単なる計算に限らず、学習を支えるという点では良いサポートができるようだ。理論はともかく、実際に経験していることだ。
自分で経験できたことなので、自分なりの確信を持っている。
でも、中学生にもなるとそろばんをしよう!なんてできないことが多い。身近な教科をこなすための素地作りをすることになってしまう。
ホントはそろばんをするのが良いんだけどね。
受験にかつ、という以上に大きな副産物があるのがそろばんだ。もちろん右脳の開発を含めて。
そんなことを考えながら、いまこどもたちに必要なことを共有する。それをペーパーにして効率よく学習する。
しかも、地元の中学校の特性を知ったうえでの対策、学習方法、やる気を出すことを説明する。
ペーパーでは全部言えないのだが(企業秘密なので)、もっと知りたい方はこちらにあります。
→ こころ塾のサイトへ(無料ダウンロードセミナーから知ることができます)
とにかく、情報がうまく回ってくれ、情報に惑わされないように子供たちとシェアしているこのごろである。
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今日で小学校のALTを辞めるオーストラリア人と会った。彼のお父さんが病気であることがわかり、急きょ帰国せざるを得なかったのだった。
希望と不安を胸に頑張っていた彼を最初のころから知っていたわたしとしては、ホントに残念でならない。教育委員会に最後のご挨拶に行っても、行く先々で「残念」の声が流れていた。
わたしは彼とそんなに交流があった方ではないけれど、「やぁ、クボ!」と親しく声をかけてくれた。
久しぶりに会い、最後の別れとなったのだが、ふと感じることがあった。
彼は英語を話すのだけれど、その言葉ひとつひとつが妙にわたしの頭の中に入ってくるのだ。英語ではなく、気持ちを聞いているような感じ。
彼の人柄もあるのだろうけれど、英語を聞いているのではなく、長く会わなかった友人と再会を期して「がんばろう!」と言い合う気持ちの交流なのだ。
「しっかりお父さんのことをサポートしてやれよ!」「ガッツ!」と激励しながら、話す英語の染み入る感じを受けてしまった。
英語
なのだが、それは英語ではなかった。
わたしは、子どもたちに英語を教えている身なのだが、英語を学ぶことの意味を今ならちゃんと教えてあげられるような気持ちになってしまった。
わたしと子どもたちが今やっていることは、この先きっと矛盾していることに気づくべきなんだと。それは、最初から矛盾しているのではなくて、自分たちがマスターしたからこそ矛盾に気づくべきことなんだということを。
えっ?もっと具体的に?これじゃぁわかんないよ・・・
子どもたちにも言われてしまった。でも、気づかなければわからないこともある。英語を気持ちでわかることもそうだと思う。
だからといって、今やっていることが無意味ではないと言うこと。無意味かどうかは今判断するべきことではなくて、無意味なことをわかってから判断することもある。だって、無意味かどうかの判断は、今の大人たちの判断にすぎないことを(私たち大人は)わかっていながらも、子どもたちに知ってほしいことがある。
ますますわからない???
日本を旅発つことに無念さはあるのだろうが、彼は今大事なことをやり遂げようとしている。それも人生だ。
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1月に入ってすぐに、数人の子どもとその親たちと3者面談をしたことがあった。成績が伸びないので、なにか問題があるのだろうか・・・という悩みを抱えていた。
親御さんといろいろ話をしながら、また自分自身いろいろ思うことがあったので、お互いに話すことで良い経験をさせてもらったのだった。
子思う親の気持ち
を感じながら、自分も子を持つ親として、どんなサポートができるんだろうか?もっと早い時期だったらいっしょにそろばんをしながら、右脳を鍛えることもできた。右脳に限らず、いっしょに考えることがその子にとって「わかる」を実感する体験ができたのに・・・
遅い!!!ということではないのだが、自我がでてくるころ(7~9歳頃?)なら、大人としての関わりを通して学ぶ姿勢を習慣づける機会を持つことができた、と思う。遅いのではなく、必要なことを習得するのに時間はかかるのだから。
でも、この3者面談。
わたしは、あることを書いて話をした。A4シート1枚なのだが、3学期からのこんなことをやっていこうという心構えと具体的な学習の仕方だ。
いいたいことはただひとつ。
自分がわかったことか、まだわかっていないことか?
だ。
このことをいつも頭において学習しよう、と。
わかろうとしている自分を冷静に見つめながら、いつも自分が自分の中心にいることを実感する。
わたしの学習の基本だ。やろうとしている自分、頑張ろうとしている自分。そんな自分が何を学ぼうとしているかを見つめる。
つまり、動機を意識しながら学習するのだ。
具体的に何をしていくかを子どもたちに紙1枚渡したのだ。それはなにか???は、こちらを見ればわかる(かなっ?)。 ⇒⇒⇒⇒⇒ 来週公開予定です。
こちらに掲載しています。
とにかく、この紙1枚でこどもたちが変わった。学習する姿勢、やるぞっ!という気持ちになってくれた。
一人一人が目的を見直したのかも知れない。現実の自分と自分がこうありたいと思う自分。この差を動機付けという前向きな力に変えてくれたのだろう。
どうも成績にも良い影響を及ぼしているようだ。こんなにできるようになったよ!とわたしに言ってくれる子どもたちが増えてきたのだ。
でも、ホントは、「紙」が良かったんじゃなくて、わたしと子どもの気持ちが同じレベルで同調したんじゃないかと思っている。気持が通じたのかな?
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1年生。ここに来るのが楽しみになっている。繰り上がりや繰り下がりの計算が自由にできるようになったのが大きな理由だと思う。
そろばんの時間になると、とにかく集中する。「すごいね。」「できるよ。」といつも誉めてあげる。ホントにできるようになったのだから、本人もすごく気持ちが良いのだ。見取り算をやっているのだが、そろそろかけ算に入ろうと思っている。
九九のするの?
って、私のところは九九を知らなくてもかけ算をする。かけ算の仕組みを体で覚えてしまうので、「九九」を知っていることは必要条件ではない。そのうち覚えるよ、程度でかけ算をやってしまう。
2年生はもう九九を覚えているけど、この子たちも九九を習う前からかけ算をする。だから、簡単なわり算だと自然に答えも導ける。
世の中、子どもも大人もマネーゲームがはやっているけど、クリックしたらすぐ結果が出るようなゲームも良いけど、じっくり取り組んで自分の能力を高めていけることも必要だよね。
そろばんなら、それを味わえるぞ。
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最近本屋さんに行くと、こんな本が売られている!とびっくり。
昨今、右脳開発だとか、ボケないための計算・・・といった雑誌や本がたくさんある。著名人が、この方法は良い!と言えば売れるのだろう。効果もてきめんなのかもしれない。
ちょっとした時間を見つけては計算をしたり、パズル問題を解いて頭を使うことは良いのだろう。それも大人がしても良いのだから、子どもならもっと良い、と。
この種の本を書いている人は数名いらっしゃる。
その方たちがとうとう、そろばんの本も出していた!!!
えっ!そろばんも良いんだね。
もっとはやくPRすればいいのに。全てが出し尽くされた後の、残りもの?じゃないよね??
実践されている方?かどうかはわからないけど、確かにそろばんはやった方が良い。
もっと言えば、子どもはやるべき。
そろばんをしていること、していない子の「違い」はもうすでに言い尽くされていることだ。ましてや大人に対してもこれまでの能力開発の延長線上にそろばんがあるようなPRがなされている今、そろばんの奥深さをじっくり味わってほしいものだ。
塾に行かなくてもそろばん学習はできる。そんな教材もあるので、是非トライしてほしいと思う。
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大人の社会にはお金と嘘が蔓延している。
立派だと言われている社長、資格者、大学教授は、立派なことしかしないという世間の常識を見事にくつがえすこれら事件の共通項は?
「モラルの欠如」
なのだろう。
嘘をついても、お金を儲けさえすればなにをやっても良い。
子どもたちは、このような立派な職業に就いている人たちを目標にし、学問を身につけようとしている側面がある。
確かにこれらは一部の人による結果であるかもしれないけど、これほどの共通事項が同時期に起きていることは偶然であるとは言い難いのではないだろうか。
氷山の一角かもしれない。
一面、ホリエモンのような目立つ人をたたく姿勢にはねたみ的なバッシングがあることは注意しなければならないと思う。
私にとって、事件の真相がどうだ??というより、子どもたちはなにを基準に学んでいくのだろうか、ということ。
子どもによるマネーゲームも教育として定着しつつあるようだ。パソコンさえあれば何でも達成できるという幻想。
私たち大人は、親としてもなにが大切なのかをじっくりゆっくり話し合っていかなければ、と思う。
古くて、カビが生えそうなものを見直すことになったら良いんだけどね。たとえば、そろばんのような時代遅れの産物がある。
パソコンを使えば、エクセルで統計計算まで一瞬でやってのけてしまうけど、もっとゆっくりゆっくり計算をする。しかも、計算の過程を確認しながら計算できる。
でも、統計までは無理だけどね。
そろばんが能力開発、計算力開発の先陣を切り、復活していくことも時間の問題である、ことを願ってマネーゲームと同時にゆっくり学習をしてほしいと思うのだ。
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風説の流布
目立ってしまったためにとうとう嫌がらせのごとく国家の介入が入ってしまいました。
というのが事実なのかどうかは定かではありませんが。
でも、目立ってしまったために、しかも法が想定していない道を進んでしまったがための介入のように思えてなりません。
目立つ、しかも堂々とした態度が気にくわない・・・
日常の生活でもこんなことは良く経験するところです。
あら探しをしては、どうだ、ざまぁみろ!的な押収の矢面に立たされること。
当の本人はそんなことは思っていないのに、嫌がらせのごとくやられてしまう。
こんな経験を今現在されている人を知っています。ホリエモン以外で。
ことの大きさは違いますが、本質は「ねたみ」からきているようです。
学校でも目立つ子はいます。
気に入らないと嫌がらせやいじめの対象になったり、部活だと体罰・・・
でも、全て「ねたみ」からくることが多い。自分にないものを持っている、それがほしい、でも自分にはそれを持つことができない・・・いろいろなケースがあるでしょうが、無い物ねだりの嫉妬です。自分だったらそんなことはしない、といったケースからくる嫌がらせもあるでしょうが、いずれにしても、他人を自分に置き換えた時にくる欠落が原因だと思っています。
つまり、自分は正しい。相手は間違っているという「差」として評価し、相手の欠落としてしか見ることができないわけです。
ホリエモンがそうかどうかわかりません。
でも、あの無骨とした態度や法の目をくぐるような発言や実行が「悪い」ものとして評価された(国家により)ことには間違いないと思います。
報道でも「錬金術」ともてはやされています。報道を見る自分も自分なのですが、やはりその言葉の裏には「あいつは儲けた」といったねたみがあるように思えてなりません。
子どもたち同士のねたみも大きくなると、大変な問題になります。親がそのことに気づき、ねたむ本人の気持ちを受け入れる大人の存在がとても重要だと思います。
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もっと効率よく、もっと早く学習したい。
そうすれば同じ時間でもたくさん学習できるし、密度が濃くなる。
どうすれば良い?
そのような質問をする子どもがいました。
そうだよね。
と思っている時に、「速読」が頭に浮かんできたのです。
速く読むことができれば、その分理解や暗記に回すことができ、効率良いし、学習時間も短くて済むぞ。
と、考えたのでした。
たしかに、「速読」で検索するといろんなサイトで紹介されています。
英文速読もありますね。
速読は、文中のキーワードをつまみ読みするタイプや文章をイメージとしてとらえることで理解する、とにかく速く読む・・・
いろいろありそうです。
でも、私はできそうにないなぁ、と考え込んでしまいました。
速く読む、ことは良いのですが、それを理解に結びつけるところで、うまくつながらなくなってしまうんです。
ちょっと興味があって、受験などに使えるのかな?と思ってのつまみ食いなので、努力が足りないと言われそうですが、速読技術をマスターする前にちゃんと読んで理解すれば良いよね、と思ってしまいました。
日本語なら速読もなんとかできそう。
でも、文章に書かれている内容を自分がある程度理解しているからこそ、速く読めるのではないのだろうか、と思うんですね。
だから、よくわかっていない英文などをキーワードやキーセンテンスをもとに読み進めていくのは難しい。
まして、受験に使うのは大変だなぁ、というのが素直な感想です。
右脳開発のために速読するとPRしているサイトもたくさん。
右脳教育ならそろばんが効率よく実現できるツールだと以前から述べているのですが、同じように速読にもある???
そろばんは計算しながら実効性を測定することもできます。指を使い、目を使い、そろばん珠を動かしながらの計算に効果があるとされています。
同じように速読にも・・・??
まぁ、私にはすぐには使えそうにない速読ですが、ウォッチしていこうかなと思います。
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今日も子供たちを学習をしたのだが、今年もこのようにして終わった。
そして、並行して子どもの家のホームページもリニューアルしたのだった。来年に向けての準備万端。
なんとか珠算を復活したい!
こんな簡単で、即効性があって、集中力がついて・・・・
良いことばかりのそろばんを子どもたちにマスターさせたい。親御さんの気持ち次第である。
なんとか能力開発にうつつを抜かすなら、そろばんの方が良いぞっ!と言ってあげたい。
だって、そろばんさえあれば、どこでもいつでもできるんだから。
これで、おまけに頭すっきり!なら言うことないと思うんだけど・・・
とにかく、そんなことを考えながら今年も終わりだ。
来年?
いろいろなことを考えている。
そろばんしかり、だけど、
もっと目標に近づきたいことがある。それを目指しての邁進だ。
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そろばんをしてきた子どもたちとそうでない子どもたち。
高校、中学に進学するにあたりその差が歴然と出てきている。成績が良い子がそろばんをしているという実態もないわけではない。
というあ、あるからこそそろばんの重要性を認識してほしいものだ。
私のところに来ている子どもたち。
成績がそんなに良くない子もいるけど、そろばんはできる!このできる、というはそろばんをしている際の集中する力に現れている。
学校の成績も徐々にではあるが上がっている子も多い。逆にそろばんをやめてしまった子どもたちは、塾には通うが成績はパットしない。
小学生だけではないのである。
中学生。高校生。
彼らの集中力や考える力のベースにそろばんをやってきたという背景があるのだ。
そろばんをするということにどのような力が潜んでいるのか?それがわかればそろばんのほかの同じような効果をねらったことをしても良いはずである。
私のメルマガで「わかる」ということを説明しているが、そろばんほどこの「わかる」にマッチングした手法は見あたらないのである。
世にはいろいろな教材や学習法がある。右脳、左脳も含めると何を選択して良いのかわからなくなってしまうだろう。そろばんは、これらいろいろな学習法や教材に共通する要素を含んだ公約数的なメリットがある。
そろばんがこの日本では衰える一方なのに、外国では逆に見直されている。大事なのはなにか?ということ。
そんなことをいま子どもたちが進路に悩むのを見るにつけ、そろばんをやってきた子どもたちに「両親に感謝するんだよ。」と言っているこのごろなのである。
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この問題は息子と一緒に考えた問題だ。
「トランプからスペードのカードだけ1~13まで取り出す。これらのカードを下記のように2列に並べた。オーット、したの段のカードは1~6がきれいに並んでしまった!!!このとき、下の段のカード(1~6のカードのこと)は、その上の段のカードの2枚の数字の差を表していることがわかった。じゃぁ、上のカードはどの数字のカードが並んでいるのかな???」
図は、
□□□□□□□ ;上の段のカード
①②③④⑤⑥ ;下の段のカードは左のように1~6に並んだ
これは簡単かな?
数字を並べて、あるいは並べたところをイメージしながら解く。すぐわかったとしてもトランプをイメージすることは大事なこと。
わからない時ってこのイメージができないことが一因している。
で、解答は明日にしますね。
出典;楽しくできる!小学生の算数パズル 4・5・6生 からです。
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ちょっと前までは知る人ぞ知る人、だったのですが、いまでは人気の作家、コンサルタント、マーケッターだ。
ずいぶん前から知り合いがこの本読んでごらん、と言って渡されたのが最初の出会いだった。神田さんの本を読んだ後はドキドキするんですね。
なにか自分が言いたかったことを言ってくれた、知らないことをかゆいところに手が届くように教えてくれる。
買い手の心理が「わかる」というか、買い手の背中を押してくれる、しかも買い手が喜ぶように。
以来、わたしは神田さんの本を読んでいるが、何しろ実践はともなわない劣等生であることには間違いがないようだ。
でも、彼から送られてくる「365日神田語録」がなによりの楽しみで、読み始めて2年目に突入した。
彼のメルマガである。
いつ読んでも新鮮で、ハッとさせられる文章に、がんばらなくっちゃ!と思わせてくれる、そんな語録なのである。
それが本になった。
メルマガを読んでいるので、あるとき神田さんの会社からメールが入り、この「365語録」の使い方を募集しているとのこと。
わたしは、ノートに書き写し、その日に思うひらめき、改善点などとにかく思いついたことを語録といっしょに書き出す。
新鮮な指摘を前にして意気込む瞬間である。
そんなことを書いて応募したのだった。
それが今日思わぬ贈り物が届いていた。
なんと、神田さんの新刊がわたしの所にきていた!!!
しかもサイン付き!!!
相手の心に届く考え、行動、話・・・・
どれをとっても私たち、子供たちにとっても大切な「わかる」の実践書であり、啓蒙書、座右の書である。
これを読んでいるとどんどんアイデアや考えが浮かんでくる。不思議な本。
いや、その前に不思議なメルマガなのだ。
皆さんもぜひ読んだら?もちろん無料メルマガなんですよ。
神田さんを知らない方はコメントに入れていただければ、詳細を書き込みますね。
また、今日から大切な本が増えてしまいました。これじゃ、夜も寝られない・・・
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間違いをするときを注意深く観察していると、同じような傾向があることがわかった。
断定はできないが、自分が考えていたことと一致してくる。
それは、間違うときは書いている用紙が、
・せまい・・・字が小さくなる、字がだぶっている、重ね書きに近い
そして、書いている字が、
・汚い、乱字・・・数字の見間違いをする
これにより、結局字を間違えてしまい(書き間違い、読み間違い)、計算も正しく行われないのだ。もったいない。
こんなこともある。
間違いを指摘したときに、子どもたちはすぐさま彼らが書いた答案を消すのだ。
「ここが間違っているんじゃないかな」と言ったら最後、答案をすべて消してしまい最初から書き始める。
「ストップ、ストップ!!」
言うのが遅くなると、さっきまで書いていた計算のプロセスがまったくわからなくなってしまう。すべて消されてしまうから。
だから、最近は「消さないでよ。ここ考えて!」と言うようにしている。
で、なにが問題かというと、
すぐに消してしまったら、なにが問題なのかわからないよ!!って言わなければならなくなる。
おまけに、消しゴムできれいに消さないので、字の跡が残っていて、その上に新しく書こうとする。結局書いた字がますます読めなくなってしまう。
もうこうなったら正解しているのかどうかもわからなくなってしまうのだ。本人もよくわからないまま計算をすすめる・・・
という悪循環が待っている。
そうならないことが間違いを減らす第一歩だ。
つまり、
「大きな字でていねいにゆっくり書く(意識して!)」
「間違いに気づいたり、答え合わせで間違ったときでも消しゴムで消さずに、おおきくバッテンを付けて別のスペースに書き直す」
こんなことを子どもたちと約束し、問題を解くことに。
大きな字はかっこわるい!という子もいた。
彼の場合、中学1年の頃は大きな字で計算したり、文字を書いたりしていた。そのころって良くできていたなぁ、成績が。
と話をする。
今は字が小さいよ。成績も少し下がったね、と言うと、「う~ん、そうかなぁ」と少し気がついたようなのだ。気づいているけどあっさり言われると気恥ずかしい。
字が小さいがための、字の小ささが故の間違いに彼も何とかしたい、と思っている。
少しずつ前の彼の字の大きさになっていく。
消しゴムも使わないようにしていくと、だんだんていねいに書くようになった。おもしろいものだ。自分で意識していくうちに間違いも減っている。
問題の趣旨がわからないで書いているときも字が小さくなるんだよね。自信がないから。
間違っても良いからていねいに書くんだよ!と言ってあげると、ここで挙げたような間違いは起きないのだ。
問題のレベルが高くて「わからない」ことはある。
これはこれで問題なんだけどね。
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もう一度おさらいをしておこう。
算数・数学の計算問題、文章問題を解くときに間違うケースを大きく分類して4つにまとめることができた。
もちろん問題の意味がわからない、問題のレベルが高すぎて解けない!という種類の間違いは除外している。
わかって解いているんだけど、間違っちゃった!!!というような問題は、どのような種類の間違いが多いのか?どんなことを間違うのか?
そこを知りたかったのだ。
ふつうに勉強して、ここでいうような間違いさえしなければ。あと30点くらいは得点できたはずだ。子どもたちの答案用紙を眺めているとつくづくそう思うのだ。
時間がないので焦って解けない、というケースもあるが、ここでは焦った結果としてどんなミスをしたのかをまとめたのである。
それは次の4つのケースだった。
1.符号のミス
2.単純な計算ミス
3.問題の書き間違い
4.似た数字の書き間違い
わたしの調査だけなので、はっきりとは言えないがこの順番はミスが多かった順に書いてある。
子どもたちと学習する時間に、子どもたちがミスをしたらその内容をメモしながら、あるいは学校での定期試験の答案用紙を見てどんなミスをしたか、を調査している。
ときには子どもたちが自己申告してくれたケースもある。
こんなことを調べているんだよ、と説明しながら子どもたちに調査の趣旨を伝えておくと、子どもたちは自己申告してくれたり、逆に間違いが少なくなるケースもあった。
計算に意識を集中させることで間違いが減るんじゃないか、と考えることもあった。
とにかく、n数を増やし分類化できるかどうかを調べたかった。
この結果を子どもたちに知らせると、なんて簡単なこと、当たり前のこと、字が汚いこと、よく問題を見ていないこと・・・・いろいろな感想と意見が出てくる。
そして、なにに気を付けたらこんな単純なミスをしなくてすむのか?に思いを向けることができる。
実態を知り、克服することで30点獲得する方法
といったところか。
実態がわかった上で、しかもこうも簡単なことで得点を失うことを避けなければならない。どんな方法があるのだろうか?
体験をもとにそれらのことについて次回書きたいと思う。
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【似た数字の書き間違い】
この間違いは多くはありませんでした。
が、子どもたちの字の汚さ、丁寧に書かないなど、字を書くときの気持ちの入れように問題がありそうなので、間違いのひとつに入れておきます。
どんな間違いか?
数字の”9”と書くのですが、字を丁寧に書かないために、数字の”0”やアルファベットの”a”などと間違えてしまうのです。
計算は数字の9を使わず、以降”0”や”a”などで計算してしまい、結局間違った答えを導いてしまいます。
ていねいに書く。
これしか間違いを直す決めてはないですよね。
ほかにも
数字の”0”-数字の”6”-アルファベットの”b”
数字の”1”-数字の”7”-アルファベットの”y”
なども間違いとして出てきました。子どもたちの字を見ていると、間違って当たり前のような字を書くこともうなずけます。
また、よくあるケースではアルファベットの”x”とかけ算記号×の間違いですね。これは、アルファベットの”x”を筆記体で砕いて書くような指導が学校でされているようなので間違っている子どもはほとんど見かけません。
日頃の書く際の意識が大切だと思います。
また、式を展開するときに狭いスペースに書くことで間違いを誘発させているケースもありました。
問題用紙のなかの式や文章問題を解くスペースが狭く、小さな字で書くために間違ってしまうんですね。
この状況は先に間違いに挙げた符号ミスや単純な計算ミスにもつながっていきます。練習するときはノートに大きな字で書く習慣をつけることから始めなければならないでしょう。
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問題の書き間違い?
なんか、理解レベルとはまったく関係ないようなことだ!子どもたちもこの間違いにはあきれていました。
でも、ホントなんですね。
どんな状況下といいますと、計算式でも問題文でもいいのですが、問題集などに書かれている問題を自分のノートに書き写すときにすでに間違っているんです。
勉強以前の問題だ!
と非難が起きそうです。「なにをやっているんだ!」と。
そう怒らないで聞いてください。できる子でもやってしまう間違いのひとつなんですね、これが。
計算問題であれば、自分が解こうとしている問題を見ながらノートに式を写します。そのときに、書こうとする式のすぐ上の式のなかの数字を間違えて書き込む、といったケースが多いようです。
子どもたちの問題を解く際の様子を見なければわからない間違いなんです。
試験の時も同じような間違いをしている可能性があります。
学校での定期試験を終えたあと、数学の場合は計算メモ用紙を持って帰りますね。それを確認したところ、問題文に書かれた式とは違う内容をメモしていることを見かけます。
まさか?と思って普段の学習の際によくよく観察してみると、やっぱり・・・
問題が式ではなく、文章題のときも同じような傾向がありました。
私のところでは、文章題を最初にノートに図や線などを使って視覚的にわかるようにします。まず全体像を理解することから始めます。
そのときにも文章問題に書かれた数字を別の数字に取り違えていることもあります。問題文が理解できていないケースだと、わかれば修正が効きます。
が、数字の取り間違いのケースだとそのまま計算まですすめ、最後に答えが違っていた、となってしまいます。
やっかいなのは、本人は書き写して間違ったという自覚はありませんので、答えも当然正しいとして記載しますね。
採点したら間違い。こうなってしまうんです。
数字を別の所に書いてある数字と間違えて書くなんてありえない!
でも、ここをしっかり見直すだけで正解率が上がることは事実なんです。これって解決策があるんでしょうか?
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これにも符号の忘れミスなどが含まれるが、符号以外のミスがあるのであえて別の項目としてあげた。
信じられないがこれも結構あるのだ。
式を紙に書き、計算を始める。ちゃんと式を書いている。間違っていない。
でも、いざ計算をするとその答えを間違って書いていることがあるのだ。
たとえば?
かけ算、わり算、足し算、引き算
すべての計算のケースで計算を間違って書くことがある。計算はちゃんとやっているが、書くときに間違っているのかもしれない。
紙に書いてある関係ない数字を、答えではないのについ書いてしまう。
たいてい私が指摘して初めて間違っていることに気づくことが多い。言い換えれば、本人は間違っていると認識していないのである。
それもそうだ。
簡単な九九の間違いなどがここに含まれるので、簡単すぎて間違っているという自覚がないのである。
ところで、”間違い”っておかしなもので、間違っている本人は間違いに気づかないが、第三者は式の流れを見ているだけで間違っていることに気づいてしまう。
なぜなんだろう???
間違っているんじゃないか?という疑問の目で見ているわけじゃないよ。
これって不思議でもなんでもなくて、当然できていると思う内容だからこそ間違いに気づくんです。
間違っているかどうかわからないような内容だったら、本人だけじゃなく、私たちも考え込んでしまいます。
そんなことに間違うことが多いんです。
九九の間違い
足し算の間違い
引き算の間違い
どうして?
と思うような計算に間違いが多いんですね。それが今回の調査でわかりました。勉強ができる子でもこの種の間違いはあります。
で、間違いをしない子どももいます。すぐの間違っていることに気づくんです。
それってどこが違うと思いますか?
それも最後にまとめてお話ししたいと思います。
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符号のミスとは、計算の過程でプラス記号とマイナス記号を間違えてしまうケースである。
小学生では、マイナス記号を学習しないので、おもに中学生にみられる間違いである。なかには高校生でも符号の取り違えがあるが。
符号のミス。
どんなときに起きるか?
中学生の場合はけっこうこの間違いが多かったのにはおどろいた。
ひとつは、移項をするとき。
等式をちゃんと作ったまでは良いが、方程式を解く際に移項をする、その移項でプラス・マイナスを変えずに書くケースである。
移項するときに符号が反対になることは、等式の性質の学習でやっており、知らない者はいないのだ。
知らずに間違えたケースはなく、あくまで移項にともなう符号の書き間違いなのである。もったいない・・・のだ。
符号ミスのもうひとつのケースは、括弧をはずすときである。
これは人によりまだ理解が及ばないケースもある。分数を含む方程式や計算などで間違うケースが多かったのである。
中学で分配法則を学習するので、基本的なことはわかっているのだが、少し複雑な式になると分配法則を使って括弧をはずすことができない。
-(+a-9)などでは間違うことはない。 → -a+9と正確に括弧をはずすことができるのだが、問題は分数を含む場合だ。
問題集を使って何度も同じ問題で訓練しなければならないだろう。
あとひとつ。
多くはなかったが、マイナス記号を忘れてしまうこともある。
たとえば、35-52の場合、-(52-35)と計算する。最初に52-35を計算しそのまま答えにしてしまう。
これもわかっているけど、ついマイナスを忘れてしまったケースだ。
高校生でもついやってしまうのだ。
この符号の書き間違いや書き忘れに気づき、あとからマイナス記号を追加する。
これがさらなる間違いの元になる。
たとえば、”~=5”と書いたあとになって-5だったことに気づいたとする。
気づいたことはOKなのだが、そのあとが問題だ。
よくやるのが書いた”5”と”=”の間、ちょっとしかない隙間にマイナス記号を書く子どもが実に多い。
いくら書いても、このような書き方ではマイナス記号かどうか判断ができないので、計算はマイナスを無視してやってしまうのだ。
符号を間違えるということはよくやってしまう間違いのひとつ。
そのようなミスに気づき、ちゃんと訂正できるようにする必要がある。
この解決策は本連載の最後にまとめたい。
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ここ数ヶ月の間、子どもたちが問題を解き、どこをどう間違えたか?その原因は何であったか?を整理してきた。
対象科目は算数、数学。
おもに計算問題に関して検証した。文章問題も対象にしたが、その詳細は別途やりたい。
対象者は、小学生から高校生まで。
そして、おおまかではあるが、解答のプロセスで間違うケースが4つに分類されるということがわかった。
どんなことをしたのか概況からお話ししたいと思う。
問題文を読んで、問題そのものが理解できない。だから、どこから手をつけていいかわからない・・・たしかに問題のレベルによってはそのようになることはある。
したがって、問題のレベルを高くせず、低くせず、子どもたちの現在の実力にあわせた。具体的には教科書の問題レベルと思っていただければいいと思う。
そんな問題ならできる!と思うかもしれない。
定期テストなんて教科書や傍用問題集のレベルである。そうにもかかわらず、定期テストになるととたんに問題ができなくなるのである。
もちろん、わかっているけど、時間が足りないのでできなかった、というケースもあることは知っている。
また、よくあることだが、「わからない」と言うので黒板を使って説明する。そのときは「あぁ、なるほど、わかった。」となるのだが、後日同じ問題、同じような問題を解こうとしても解けない場合もある。
わたしはそんなことも含めて間違いはどのような場合かを検証していき、ひとり一人が「こんな単純な間違いをしているんだ。」と自覚してほしかったのである。
問題を間違える子どもたちの心理や緊張感などが原因になっていることもあると思う。普段は緊張しないんだけど、テストになるとつい急いで確認を怠る・・・など。
でも、それだからといって甘く採点するなどあり得ない。間違いは間違い。
わたしが経験したケースでも、子どもたちがこのレポートでいう”4つの間違い”をしなければ、確実に30点くらいは上がっている。
いやもっと得点できるケースもある。
焦って多くの問題を解く。その結果たくさんの間違いをする。
解いた問題数は少なくてもいいから確実に解き、得点につなげる。
果たしてどちらが良いか?
どちらが良いか?というより、問題を解き自分の成果を十分に発揮するということを考えれば、確実にわかることを表現するようにしたいものだ。
そんなことを考えながら、4つの間違いをみていこうとおもう。
明日は”4つの間違い その一”である。
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ことばによる拘束。
ことばによる暴力になりかねないダブルバインド。
果たしてこの状況から抜け出すことができるのか?
相手方が感情的になってこのような二重拘束的状況を作ったのであれば、話は簡単。そもそもそのときには二重拘束ではなく、シングルバインドなのかもしれない。
適当に「そうだよね。」と言って離れておけば、ことは済む。
あるいは、母親が子どもの学習姿勢を見て、あきれたように「もう、なにもしないんだから。知らない!好きなことすればいいでしょ!」とタンカをきったとき、その子は好きな漫画を読み始めた。
怒った母親は、漫画を読む子どもに対して「何でそんなことするの?」とさらに輪をかけてタンカをきる・・・
この子はいったいどうすれば良いんだろう?
このダブルバインド。
母親からすればダブルバインド状況にならないようにことばを選ばなくてはならない。
一方、子どもとして対処ができるのか?
感情的な言い方にせよ、母親の言ったことばの論理を論理として受け入れると、拘束状態から逃れることはできないのだ。
ではどうすればいいか?
なにをやっても怒られる子どもとしては、自我つまりいのちの存在を確保できうる限りにおいて、周りの環境との調和を意識的に取り込むしかないのである。
この場合、お母さんが期待するであろう幻想につきあわなければならない。
それがなんなのかわからないが、「好きなことすればいいでしょ!」に対して、たとえばお母さんがやってほしい勉強でもするしかないのである。
これには前提があった。
子どもの自我、つまりいのちが壊れないこと。
建前でやっていけるうちは良いのだが、本音(自我、いのち)とのバランスが崩れてしまうまでつきあうわけにはいかない。
命を守るために、その場から抜け出しいのちを維持するか?
論理の罠がそもそも問題だ。
解決策は、同じ論理のテーブルで議論しないことである。
そもそも論理的な拘束があるのだから同じ論理上にたっても自我は満足されない。
ことばによる論理構造から抜け出し、子どもとしての行動に出なければならないのだ。
あるいは、違う論理を母親に差し出すしかない。「そんなこと言ったって、お母さんも同じことやってるじゃない。」と反論するのです。
ことばの次元を変えて、違うテーブルで話し合う。
これができなければ、ほんとの暴力という行動で対抗せざるを得なくなってしまうのだ。
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昨日、ダブルバインドについて書いていました。
今日ゆっくり考えながら、ダブルバインド、つまり二重に拘束、二つの矛盾したことを強制されるような状況が、ことばのなかに含まれることがある、ということを書きたかったんです。
論理的な追求をしても、最後は矛盾していることに気づきながらもどうすることもできないケースです。
もともとダブルバインドは心理学などで使われていることばだそうで、自我が環境などに拘束されている状況とのなかで(これが一つ目のバインド)、道具としてのことばやことばによる論理によって自我が拘束されてしまう(2つ目のバインド)ような状況をいうらしいです。
自我から発した解決策も、外部状況がそれを許さない状態。
難しそうですが、よくよく考えてみれば私たちがよく経験することです。
親が子どもに対して「勉強しなさい」「勉強が終わるまで外に出たらダメ!」
宿題が終わって外に出ようとしても「遊んだらダメ!」「家にいなさい」
せっかく宿題が終わってもなにもできない状況はまさにこれです。
子どもにとっては迷惑なことですが、こうなった親を説得することは不可能に近いでしょう。
すでに論理や理屈でやりこめるなんてできないのです。
こういったダブルバインドは、ことばによる拘束、理屈でやりこめられるときなどに多く出てくるようですが、果たして子どもたちは救われるのでしょうか。
子どもでなくても、会社の組織でも同じような矛盾を突きつけられることはあります。ことばのレベルでやりとりする、議論。
この状況を打開する手はあるのか?
実はあるんですね。
それは次のブログで・・・
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「100の知識より10の経験」と書かれた本があった。
そういう題名の本ではなく、本の中に表題として書かれていた。知識として染みつくには何度も何度も繰り返し、理解し、納得し、さらに自分の考えを入れておかないと自分の知識になったような気がしないものだ。
受け売り知識はそのうち忘れてしまう。
経験はちょっと違うね。
1度経験したら、自分なりの考えや感想は必ず残る。知識は覚えたか忘れたか、が最初の関門になる。
だから、経験しながら知識も自分のものとすればいい。
まぁ、そんなことか?
こんな言葉が飛び交うのも、実践するはじめの一歩さえ踏み出すことができれば、ほとんど解決したと同じなんだ、と言いたいのだと思う。
頭の中で考えたり、覚えたこと。
経験して知ったこと。
この間には大きな違いがあるのだ。
言葉や問題には、一面的ではなくいろいろな切り口があって、それを知るには自分が体を使ってみることが一番だ。
勉強も同じ。
でも、勉強は体験できることとできないものがある。
体験できないことをどう体験に代わるものが必要である。
それは???
わたしのHPで掲載しているメルマガを読んでいただければその答えがわかる。
行動を大切にする根拠はほかにもあるのだろうか?
なぜ知識だけじゃいけないのだろうか?
ひとつには論理の罠、つまりダブルバインドに陥ることもあるからだ。
ダブルバインド?
ことばが存在する社会だからこそダブルバインドの状況に陥ることがある。論理的矛盾から抜け出せない状況に自らはまってしまうことがある。
ことばによる論理矛盾を改善できない状況をいう。ことばで対処できないのなら、そのパラダイムで勝負するのをやめようよ、なのだ。
そもそもダブルバインドは、ことばを脱してことばで表現できない根元へと導くための考えでもあったはずだ。いのちへの解決策かもしれない。
う~ん、よくわからなくなってきた。
また考えてみようか。
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高校生にもなると勉強のやり方は自分で考え、決めていくものと思っていた。
社会人になると、それは当たり前のことだ。
高校生はそういった意識をつけては、実行する練習の場でもある。問題を解決していくということのプロセスを自ら学ぶ場だ。
でも、良く聞かれるのが「・・・の教科が苦手で、どうやって勉強したら良いかわからないんです。教えてください。」なんて言われることが多い。
テレビに出た後かもしれないが、とにかく多い。
私の場合、高校生の学習をみるのがとてもためになる。中学まではわかっていても、進学校に行くととたんに学習についていけなくなるケースが多いから。
そんなとき、やはり学習法を見直さなければならないという赤信号だったりする。
子どもたちがそのことに気づかなければならない
気づかなければ教え、どう進めていけばいいかを一緒に考えるのである。
ついこの間もそうだった。
似たような質問を受け、どんな勉強をしているか、問題を解きながら一緒に考えた。
結論はだいたい同じなのだ。
最初の一歩を自ら歩んでいない。
自分で考えたことすら実行していないのだ。間違っても良いから自分でやってみて、軌道修正をしながら、方向転換をしながら、トライを続ければ良いだけなのに・・・
結局自信がないので、次に進む勇気がないらしい。
失敗を恐れる。
許されない失敗ほどのモンじゃないよ。そう言ってあげるけど、やった後の失敗を取り返そうとするあまり、結局なにもできない悪循環に陥っているようだ。
みんながみんなそうだとは思わないが、自分でやってみないと、つまり体験しないと、真実のデータは得られないのだ。
それが私の「わかる」理論でもある。
すべてに応用できる「わかる」理論。
まずこのことから説明していき、次に自分で実行するためになにをクリアしていくか?を考える。
経験
↓
真実のデータ
↓
考えることとのデータの一致
↓
全体図の把握
わかりにくいが、「わかる」理論は簡単な理論なのだから、高校生も納得できれば実行に移せる。
もちろん中学生も大丈夫。小学生もだ。
最近わかったのが、この理論で自分のこころの動きも理解できるので(もちろん相手のも)、こころのケアにも役に立ちそうだ。
とにかく考えることだ。そして経験(実行)する。
そうすればなにかが「わかる」。
その「わかる」経験もしなければわからないのだ。
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昨日とうとう放映され、今日は友だちからやんややんや・・・であった。
私のHPでやっているメールマガジンもグッと購読者が増えたようだ。「わかる」というマイナーなキーワードで興味を持っていただくのはうれしい限りである。
それで、テレビの件。
「ほんとに・・・なの?」
だったり、
「すごいね」
だったり、
「見に来たい」
もあったり・・・
この番組を作るにあたっては、制作会社の方々と毎日のように夜遅くまで酒を飲みながら語ってしまった。
そちらを放映した方がうけると思うのだが、そうもいかない。
「月1万円で生活」という番組もある。
「田舎ぐらし」
「転職」
このあたりがキーワードのようだ。
受ける番組のトレンドのようである。
あと、お笑い系とのドッキングか?
話は戻り、制作会社の方々と夜な夜な話をしたことで、私たちの真意は伝わったのだと思う。
映像として伝えてくれた。
私たちが紹介されたあと、タレントで元マラソンランナーの松野さんが言っていた。
「気をもらったようです。」と。
松野さんのお子さんが病気がちであることと、私たちの生き方がだぶったのだろう。
映像がそう言わせたのであれば、テレビに映ってよかったと思ったのだ。
すくなくとも松野さんに私たちが届いたのだから。
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本日テレビに放映されます。
番組を作成したスタッフの方から連絡が入りましたし、今日の朝刊にも載っていました。
見るよ!コールもいただきました、
なんか、入学式に出席するような変な気分ですね。
田舎暮らしを始めるきっかけが、息子の体のことであったことを考えると、私たちは常に息子の成長に突き動かされてきたことを感じるんですね。
シュタイナー教育を始めたのも、息子がシュタイナー保育園に通っていたからであり、興味を超え実践する機会を得たのも息子が間に入っています。
息子がアトピーやぜんそくに悩まされ、このままじゃいけない!と感じ実行したのも息子がいたからです。
田舎に移り、そのころのことをノンちゃん(妻です)と一緒に考えたり、思い出すんですね。
そうしたら、息子が病気になるのは、私たちに問題がある、それに気づかせようとしているんだよ、といったことも思い出したんですね。
当時の私たち。
そうそう仕事で遅くなることを理由によく口げんかをしていた時期がありました。家族が仲良く暮らしていくために、息子は我が身をもってそのことを教えてくれたように思う。
これって、おおげさ!と思うのですが、ホントあるんですよ。
私たち家族のことをもう一度見直すきっかけが息子のことを通してだったんですね。
そして今。
シュタイナー保育から教育へ。
子どもの成長にあわせて自分たちも成長していく必然性。
シュタイナー教育に通じるコンセプトを自ら考え、実践する機会ができたのだ。
そんなことをを話しながら、どんな番組に仕上がったのかとても興味がある。
番組制作も大変な仕事だった。
田舎暮らしをしたいなぁ、というディレクターだからこそわかりやすく伝えているんじゃないか、と期待している。
彼の仕事も私たちと通じるところがある。
仕事なら全部通じると言われそうだが、全体像をイメージし、つまりコンセプトを作り、そのコンセプトに合うような番組を具体的にどう作ればいいか?
最初の自分のイメージが大切だ。
具体的な場面場面がそれに適しているか?ちゃんと伝わるか?をチェックする符号のようなものなのだから。
この番組の制作時、ディレクターはADさんに「じゃぁ、W君。ここから自分で作ってみてよ。」と言ったことがあった。
「撮影はどの方向から?引く?」とか言われながらAD君にやらせようとしていたのだった。
若いAD君。
「う~ん、そうですね。・・・・」
ぼくはこの状況を見ていて、上司が部下に対して現場教育(OJT)をやっているように見えた。もちろん、ディレクターとADのイメージは違うのだから、その点だけを見ると番組は思うようには作れないはずだ。
だから、OJTだな、と思ったんだけど。
ディレクターは、番組に対して全責任を持って制作しなければならない。作る、ということにはその責任があるかどうかも大きな仕事の一部なのだ。
AD君には残念ながらまだ責任を持ってするというには若すぎたか?
言葉で言うのは簡単。「責任を持って」と。
実社会の中では、責任を持ってするということは結果を出さなければならない、ということと同値なのだ。上司がいるうちにOJTで鍛えさせようとするディレクターの方が一枚も2枚も上手である。
はたして彼に(W君に)そのことは伝わったのだろうか?
私はずっとそのことが気になっていたのだが、直接合っても忘れていたり・・・で言い出すことがなかったのだが、上司からのささやかな気づきの場をもらったW君。
ADが小間使いではなく、ディレクターのアシスタントであるという自覚と責任感を持つことができたのだろうか?
番組を作るには一人ではできない、ということがよくわかったのだけど、次に次にと自分が持つ能力、ノウハウ、情報などを部下に伝えていきながら持続性を持たせていかなければならない。
W君は会社を変わる、と言っていた。
こんな仕事がしたい!もたいせつだけど、こんな仕事ができる!の方がもっと大切。
自分の能力を生かすしごと。
そんなものないと思うんだよね。
要は、できるかできないか、どうやったらできるか、だ。
そして、責任感を持たせようとする社の風土、人間関係はもっと大切なことなんじゃないのかな、と思うのだ。
自営は自活だ。
その原点は「責任」の一言にあることを改めて思い知らされるのである。
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いつも良いことばかりじゃない。
サラリーマン時代とちがい、指摘される上司がいないということはストレスにはならないが、その分自分に対して厳しくしていかないと前に進まないのだ。
上司がいた方が良いんだよ、ほんとはね。楽だから、仕事が。
指摘されることに嫌気がさす、と言いたいんだろうけど、言われればそこで考え上司と自分の意見の違いを考えればいいのだから、仕事としてはスムーズにいく。
指摘されたからと言って沈み込むことはないんだよね。
プラス思考で行け!
と言われそうだ。
マイナスに考えるから、できることもできないんだぞっ!
くよくよするな!
何ごともプラスだ!
いま、こうして冷静に書いているとそうなんだけど、いわゆるマイナス思考から抜け出せない時があるのだ。
ふりかえって、どんなときに私たちはいやな思いをするんだろうか。
いやな思いだと思うのだろうか?
自分には自分の考えがあるという。
それを犯されたとき?
批判されたとき?
ちょっとちがうかな。
批判されても、自分の存在を認めてくれたうえでの批判であるなら、それは自分のために良いことだったんだとプラス思考になれるかも知れない。
なれないかも知れないけどね。
理由もなく自分の存在価値の部分、アイデンティティのエリアに入り込まれたときに、不快感を示すようだ。
ひとは自分の人生のなかの物語をこなしている。
主人公である。
主人公の座をあるとき奪われてしまい、自分の人生のなかで脇役をしなければならない自分に対するマイナス思考はなかなか解消しにくいものだ。
他者から指摘されながら、なおかつ主人公の座に居座るときの居心地の悪さ。
自分の考えを少しずつ変えながら、中心であり続ければいいのだが、そのシフトプロセスがプラス思考そのものであるのだ。
なかなか思考を変えることはできないものだ。
でも、プラス行動にシフトすることはできそうだ。
思考を変えようとしながら行動を先にやってしまうのである。
行動することで考えが変わる。
プラス思考に努めるより、プラス行動を先にする。
これも体験が我が身を助けてくれる「わかる」プロセスと同じなのだ。体験、行動が人を動かすことの方が大きいこともある。
迷えば動け!
これで突き進もうと思う。
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夏の勢いもすぎ、観光地にゆったりした時間が過ぎてきた。
観光で暮らしている人たちにとって、この時期はまだ眠れない日々が続いているらしい。夏休みが終わるまでは戦争の日々。
そんな夏休み。
子どもたちはどうしているんだろう??
友だちと遊ぶことはできるにしても、親との会話がなくなる季節でもあるからだ。
たとえば、ペンションを経営している家族では、朝から晩まで働いている。朝食作りから始まり、夜は夕食、後かたづけ、そして次の日の準備をして寝る。
朝3時に起きて、夜1時頃寝る話も聞くのだ。
なかにはアルバイトを雇っていると、その人達の仕事の段取りの考える。
とても子どもと一緒に話をする機会がないのが実情のようだ。
子どもたちはどうしているんだろう??
地元の子どもたちのことを考えてみた。
ふと、そんなことを思い出したのだ。
知り合いのペンション経営している方に聞いてみると、親とは話をしないが、ペンションに来るお客さんと仲良くなるケースが多いらしい。
彼らが友だち代わりなのである。
そう聞くと、妙に納得してしまった。
ペンションの子どもたちは実におとなとの付き合いが上手なのだ。
言い方は悪いが、おとなを手玉に取っていると思うこともある。
子どもとしての精一杯の自己主張が彼らとならできるからだ。親はコミュニケーションのなかに入ってこないから、精神的バランスを彼らとの会話に求めているようだ。
そう思った。
実に会話が上手。
反面、子どもらしくないともいえる。
おとなの喜ばせ方を知っているような会話には、わたし自身聞くと棘があるように感じる。自己主張をそのまま受け入れてくれるのがお客さん。
子どもにとって良い話し相手であるし、自己主張の対象になるのだ。
それが良いかどうか?はよくわからない。
環境により身につけた生きる術のようなものだし、コミュニケーション力を付けるには最高の場になっているからだ。
ただ、思うにもっと子どもらしい考え、意見が出て、そこからさらに考えていく機会になればと思う。
このままだと、社会に子どもが入り込み、そのまま会話の要領をおさえたサラリーマンのようだからだ。
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そろばんのこと
なぜそろばんが良いと言われているのか?
そろばんから求める「わかる」像
などをわたしの体験などを通してレポートしている。
そろばんが良い、といっても右脳教育だと言うことだから・・・
ではなく、もっと実戦や経験から出てくる「良さ」というものを自分なりに理解しようとした結果であった。
そして、そこから派生している「わかる」は、これまでの学習観とはちがう切り口を出したかったのだ。「わかる」に至るプロセスは、ひとつにつながっている。
小さな子どもが、わたしの息子もそうであったように物語の読み聞かせをすると、「なぜ?」「なぜ?」と質問攻めにしてくる、子どもだけの世界、シュタイナーが言うファンタジーの世界。
こんなこととも軌を一にする「わかる」ということ。
ファンタジーから来るさまざまな質問はファンタジーを持って返さなければならない。
それはことばを理解するプロセスに似ている。
久保さんのレポートは良いんだけど、わたしにもできるのですか?
そろばんって無理、無理・・・
なんて意見もいただき、現実との差に少々疲れているというか、もっと誰にでもできる考えがあるんだろうか?と考えてしまった。
確かにそろばんは教えるためには技術が必要である。
子ども一人一人のレベルに応じたステップアップをしなければならない。
そろばんはふつうの学習と違い、ある程度レベルに応じた学習内容は決まっている。そのレベルを理解するかどうか?理解するためにどうアプローチするか?
といったことが重要である。
「わかる」かどうか?
よりも反復学習による理解をすすめる手法が大事だ。
といっても、子どもに一番近いところにいるのは親である。
性格も知っている。
知っているから腹が立つ!とは言わないで、子どもの学習に時間を割いてあげたいものだ。
わたしのところでもそろばん教材を販売しているが、親が師匠である。
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さっき覚えたことを書こうとする。
大丈夫!ちゃんと覚えているから書ける。忘れようと思っても覚えているのだから忘れようがない、なんて言いながら覚えていることが書けるのだ。
でも、それは長くは続かない。
1時間も覚えていられない。
そう、忘却曲線にのり、きれいにわたしから流れ出てしまう。
どうも短期記憶に入っている内容がそれらしく、長期記憶できる貯蔵庫に入らない限り記憶を長い期間維持し続けることはできないという。
どこにそのような貯蔵庫があるのか知らないが、結果として維持し続けている内容はそのような記憶タンクに入っているのだろう。
そして、すぐに忘れることは短期記憶タンクに入っていたのだろう、と思う。
小さい時に経験したことや覚えたことを今でも記憶していることがある。
長期タンクに入るほどの経験をしたのだと思う。
いまでも母の背中にしばられあやされていたことを覚えている。
そのときの感触まで体は知っている。
小学生の頃、お腹が空いて友だちと家の釜でおむすびをつくり食べたこと。そのときに冗談、お笑いが始まり食べたおむすびを笑いながらこぼしまくって、死ぬほど苦しかったこと・・・
一度きりの経験だけど、妙に私の記憶から離れないのだ。
覚えようと思っても覚えられないこと、忘れようとしても忘れられない過去の経験。
ホントにおなじ自分なのだろうか???
そう、経験したことは、なかでも行動が突飛なこと、心のなかまで入り込むようなできごとはなかなか忘れないようだ。
一方、頭のなかで記憶しようとしたことは長期記憶タンクに入ろうとしない。
これって、経験の有無、自分の体が知っていこうとするかどうか?などが影響しているのだろうか。
頭のなかで繰り返すことと、何らかの経験をすることで繰り返す回数を減らすことができるように思う。覚えようとしても、そのときの友だちとの会話や雑音などはしっかり記憶していることもある。
どうもわたしは、体験しながら、知識と結びつけていく方が良いのか?
わたしの思いは、子どもたちに伝えていくのだが、わたしとちがう人間かも知れない。
慎重に子どもたちを見ていかなければならない。わたしの主張は、わたしの経験から出ているのだからね。
そういえば、なかなか英単語が覚えられないY君。
わたしが作った単語練習シートで7割方覚えた。練習シートも何枚書いたのだろうか。書くという繰り返しで少しずつではあるが、Y君は確実に英単語を覚えている。
論理で理解するより、体が染みつく方が良いこともある。これって「わかる」に通じる貴重な体験なのだ。
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野菜を売って収入を得る。
こんなことを考えている、想像している人が多い。自然のなかで自然と向き合いながら、自然に暮らす。なんと聞こえのいいことか・・・
でも、ほとんどの人はできない。
田舎暮らしができそうでできないほど、農業で生活できる人は少ないのだ。
わたしもそのことを身をもって体験した(と思っている)一人である。
どんなに良い野菜を作っても、市場価格を大幅に上まわる価格で販売することは難しい。大量生産は価格下落を覚悟しておかなければならないし、当たれば収入は高いレベルで安定する。
博打といわれる所以である。
わたしにはそこまでして、生活の手段をそこに当て込もうとは考えなかった。
もうひとつの道。
自分だけの販売ルートつくり、つまりマージンを取られないような自分だけのルートをつくるしかない。
そう考えると、これは農業ではあるが、それを手段とする起業である。
誰にも文句を言われない、価格を叩かれないための戦術になる。
私がすることなのだが、背中を見せながらわが子の我が身の思いを察していけるよう・・・これが子どもへのお金教育のきっかけであった。
言い方は悪いが、業者配達で済ます起業であってはならない。そんな思いだけは自分の行動で知ってほしかったのだ。
それが田舎暮らしの1年目であった。
いまは野菜は子どもとの教育の原点になっている。
自然を身をもって知ることが、自然の一部であろう子ども・人への思いに重ねて思う気持ち。
土をいじることによってしかわからないであろう、自然であることの意味。
野菜を育てるときの野菜への思い。
野菜をアナロジックに見ているのではない。
自分という存在が自然を前にして何もできない、調和する存在であることを土が教えてくれると言うことを忘れず思い続けること・・・それが子どもへの愛につながることを私は知っている。一度は感じたからだ。
その野菜を息子が販売するという機会があった。
お金教育を考えるチャンス。
なかなか売れず諦める体験もするが、それを含んでも人(お客さん)との接し方、喜びなどがお金として自分に戻って来るという循環を体験したのである。
損得勘定まで深入りしていないが、売るという体験がもたらす影響を身をもって知ったのだ。
もうゲームソフトは買えないね、といった息子のことばが本音であってほしいといまでも思っている。
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起業家向けだけでなくお金の価値を中心にした教育が広がりを見せているらしい。
かくいう私も子どもと野菜を販売するという体験を通してお金の意味を考えさせられるできごとがあった。
私たちは家の前の畑約1反に無農薬で野菜を作っている。
販売目的ではない。
私のところに来る子ども達との収穫体験や仲間へのお中元、そして自分たちが食べるための野菜だ。
予定より余るようであればほしい方におすそ分けしている程度である。
しかし、野菜作りを始めた当初は、自分で販売ルートを見つけて売っていた時期があった。
「野菜や米作りでは儲からない」
つまり、それでは食べていけない!ということなのだが、その意味を経験することで本当のことなのか?そうなら打開できるのか?
自分で売ることを決意した時期があった。
大変の一言だ。
たとえば、どこか市場に卸すという手段がある。
しかし、そうなれば大量生産が前提である。
市場価格は安く、個数で収入を確保しなければやっていけない。
だから、既存のルートに乗っかるのは自分主導で価格を決めることができない、甘んじて受けなければストップさせられてしまうポジションとしてはとても弱い立場である。
この層は農家では非常に多いのではないだろうか。
ルートが確保されている分、価格は安いというわけだ。
メリット、デメリットあるにせよ既存ルートにのるにも様々な障害がある。
なかなかそのルートに入れてもらえないのだ。
かといって、るーとにのると価格は安い。
大量に出すことも市場の影響がある。
多く出せば価格が下がってしまう。
このような環境の中に自分の身をおき、継続出荷に絶えられるのか???
多くの野菜農家のジレンマであると思う。
安定と価格下げ。
なんと自分一人では解決できそうもない問題があるようだ。
結局自分では、安定ルートに出す勇気がなかった。
そして、それ以上に野菜を作り販売する、という継続作業をそもそもできる素地があるか?改めて問いただしながら、この挑戦を止めることなく結果が出るまでがんばろうと決意した。
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そろばんや暗算をやっていても、計算自体を工夫するという考えよりも、とにかく速く正確にこなすことが求められている。
たとえば、見取り算などをするとき、足して10になるとか、足して100になるような数ばかり探し、その後で残りの数の足し引きをする子どもがいる。
彼らなりの工夫だ。
いわゆる補数を理解しているなら、足してきりが良い数字を探せば速く計算が終わることもある。計算のコツなどの本でも良く紹介されているやり方だ。
でも、ことそろばんやそろばん式暗算をやっている人にとって邪道である。
邪道、と言うより実際試してみればいいのだが、そんなに速い方法ではないことがわかる。子ども達にとって、繰り上がりや繰り下がりの計算が面倒なので、つい補数を探し計算を「楽」にやろうとしていることが多いのだ。
これも工夫のひとつだから決して否定はしないのだが、むしろ本来の目的であるどんな計算でも速く正確にこなすことから考えると、補数探しは邪道になってしまう。
とはいえ、わたしは工夫をしながら考えることをぜひ薦めたい。
工夫とは生活そのものである。
だから、その人がどんな考えや生き方をしようとしているかが、工夫の内容にでてくる。
朝ご飯を食べたら、みんなで協力し合って片づけをする方が良いと思う人は、そのための工夫を考えるであろうし、お母さんがするものだと思っている人はそのような工夫は考えもしない。
生き方そのものが工夫である、と言うことになる。
大げさだろうか?
子ども達の学習を見ていても同じようなことがいえそうだ。
問題を解く。
文章問題だ。
どのようなアプローチをするか?はこれまでの経験、学習レベルなどをとおして、自分なりのやり方を持っている。
そこに自分なりのひと工夫ができるとき、その工夫の品質によって解決の糸口が見つかる。
品質は大事なのだけれど、自ら工夫しようとする意識を持っているかどうか?これはその子たちの生き方、生活観の違いによるところが大きいように思う。
それと工夫をしなければならないというニーズの問題。目的意識と通じる必要に迫られる、だれかがこのことを解決したいと思っている、こんなことを自ら意識できるかどうか・・・
わたしは、子ども達に「1日1工夫」とよく言う。
どんなことでも良いから家族のため、自分のために工夫してみて、なにか変えることができるんじゃない?と問いかける。
・洗濯物を速く乾かしたい。
・宿題は速く終わらせたい。
・家族仲良くしたい
なにか思うことを実現すること。
それが工夫の第1歩。
学習で考えるなら、問題を解くときに、どうやれば問題の所在を知ることができるか?知りたい!
という、意識が必要である。
そして、図を書いたり、わかることを箇条書きにしたり、分類したり、・・・そうしながら全体像を理解し、解決に導く。
工夫の結果が答えになっているといったらいいすぎであろうか。
そろばんやそろばん式暗算のように工夫した結果が良くなかった!ということもあるが、それでも自ら体験しなければわからないことだ。
体験し、いろいろな選択肢を見つけたなかでさらに工夫する意識を持っていけばいいと思う。
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中学生に小学生の問題を解かせると結構おもしろいことがわかる。
中学生になると、文字を使った式の作り方から始まり等式・方程式・・・比例、一次関数というように文字を使ってのいろいろな問題を学習する。文字を使うことで、問題を解く活用範囲が広がった。x、yのように未知の数字を文字で表すのだから、すでにその文字の中に入る数が決まっていることでもある。
方程式を解くことは、式の変形であると教科書で教わる。
等式を使って表しているのだから、変形すれば求まる、というわけだ。
確かに便利である。等式さえ作ることができれば、あとは変形によって文字に適する答えを求めるだけだ。
「だけ!」とは言い過ぎか?
でも、変形する方法さえ知っていれば、変形する式の意味を知らなくても解けてしまうのがこの「変形」なのである。
式さえ書くことができれば解けるようなもんじゃない!と言われそうだ。
そうだよね。
たとえば、昨日いろんな単位の変換をやってみた。
時速80kmは、秒速?m
とか、
1リットルは?cm3(立方センチメートル)
のような。
みんな1時間は60分とか、1kmは1000mと知っている。
でも、解けない子がいた。
中学生だった。
自分が知っている知識で解こうとする工夫ができない。
工夫ができないというより、工夫をしようとする意欲がない、といった方が正しいのかもしれない。
考えることを拒否しているようにも感じてしまう。
小学生、中学生、高校生を見ていると、基本となる意欲、工夫、考える・・・といったことは小学生のときにずいぶん養うべきことのように思う。
小学校の時に学習したことを、中学校で少し詳しく、高校でさらに詳しく・・となっている。
だから自分の興味ややる気があればどこからでもやり直しはきくし、挽回するなどおこがましいほどだ。
それもあきらめている子が多いのも事実である。
頭の良さ、悪さよりもちがう切り口で足りないなにかに気づいていかなければ・・・と思ってしまうのだった。
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この時期は小中学校にとって大切な時期でもある。
というのも、9月からの2学期に備えて英語を教える外国人の方々が移動する時期でもあるからだ。小学校では国際交流を目的にして外国人の英語助手が授業をお手伝いし、中学校では英語授業の助手という肩書きで授業に加わる。中学校では本来の先生とのティームティーチングがなされるので、生の英語を聞きながら教育を受けることができるのである。
そんな先生が9月から授業ができるように異動してきた。
私に声がかかり、今日はG先生の生活サポートをしてきたのだった。
英会話はまぁこなせるのだけれど、それ以上に大切なことは人への思いやりを持って接することだ。日本人だろうが外国人だろうが同じこと。
知らない土地に行って生活するのだから、しかも日本語はあまり話せない。
来てよかったと思う気持ちを持ってほしい。
生活するには実にいろいろな手続きも必要である。
サポートをするようになってから経験したことが実に多い。
外国人登録から始まり日本で生活し、収入を得るための準備だ。銀行開設などもそう。
今日会ったのはオーストラリア人だったが、なんと実印も持っていた!
見せてもらうと漢字で書かれてある。
以前サポートしたアメリカ人は実印はカタカナで書いてあった。
聞くと、自分の名前を漢字に直すのに苦労したらしい。なんて書いてあるのかわからなかった。
サポート仕事を始めてから、いろいろな仕事というか世の助けになることは探せばいくらでもありそうだ、と実感したのだった。
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子どもたちと学習していて最近気がついたことがある。
小学生から高校生までのすべての子どもたちに当てはまることだった。
べつに問題が解けるから頭が良い!とかその逆とか言いたいんじゃなくて、問題を解く際の子どもたちは何をしているか?がその問題の所在を絞ることができたり、逆に発散することにもなるという、その見極めはどこか?ということだ。
たいしたことじゃないんだけど、それは「工夫する力」だ。
問題をどのように捉えていくのか?
ある子は図を書く。
ある子は文章を整理し、マッピングしていく。
ある子は、自分で作った式群を上下左右きれいに並べ、規則性から問題を見ようとする。
ある子は文章をただ読む。
いろいろありだ。
そのなかでも自分で問題を加工することができる力。
それが工夫だ。
工夫をしすぎて道に迷うこともある。
いわゆる飾りだらけになったときに。
でも工夫は本来シンプルでなければならない。
いろんな枝を切っていくと見えてくる幹の根元を探すようなもの。
問題文から見えてくる幹をいかに探し当てるか?それが工夫する力。
もちろん文を読みとる力がなくてはならない。文を読んでその情景や言いたいことを感じることができなければ工夫するにもどのようにして良いか分からないからだ。
だからといって読みとる力があっても、幹を探すことができないこともある。
学習する際の問題を解くということは、問題のなかに潜んでいる法則とか規則を見つけることだと思う。
それが方程式であっても等しくなるという規則をどうやって見つけていくか?に工夫の力がある。
この規則や法則を見いだすには、その前に自分が作ったなにがしかの行動から関係性を見つけることができなければならないのだ。
そして、工夫できる子は自分が持つ(知っている)方法を使って問題をまとめることができるのだ。
だって、問題が解けない子どもたちに問題を解説しながら、説明しながら少しずつ解いていくとみんなわかったと言う。
当たり前だよね。
みんながわかることしか話していないんだから。
そのわかることを積み上げていくので、最後の答えもわかるのだ。
でも、そのプロセスをみんな通ることができない。
だから悩んでいるんだ。
そこに工夫する力がある。
工夫しながら全体を通す規則を見つけること
それこそ子どもたちに獲得させてあげたい。決して頭が良いことが前提ではないと思っている。それは子ども自身の生き方、考え方に本質があるように思う。
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環境教育が浸透しつつある。
が、わたしはあまり関心がない。
なぜ?
このブログに書き込むのはずいぶん久しぶりだ。畑仕事などが忙しく更新する余裕がなかったということ。清里では5月の連休頃から畑仕事が始まり、8月に入ると収穫時期になる。
その間、雑草取りが毎日の仕事になりとてもパソコンの前に座ってキーボードを叩く余裕はなかった。
野菜作りはもちろん無農薬である。
子どもたちが食べることが前提なので自然とそうなるのだが、わたしには野菜作りというか、畑仕事は子どもたちの食材以上の意味があって時間を費やしているのだ。
それはブログを書くことより大切だと思っている。
自然のなりゆき、というか偉そうに言うなら自然の法則を身をもって感じることにこだわっている。
こだわらなければならない、ンじゃないんだよ。
感じること自体に成り行きを持っているということなんだ。
私たちも自然の一部。
何にもないときには自然の意味さえ知ろうとしないが、台風や地震など起きると自然って身を任せるしかないと感じてしまう。
もっとまえの段階で、自然の恐怖が起こらなくても、自然のまえに自分たちは身を任せるしかない状況を畑仕事を通して感じていくことが大切。
知ろうとしているのではない。
感じること。
子どもたちとの教育も同じことだと思っている。
自然をまえにしてそこから逃げない、感じることをいかにして共有していかなければならないか?
ものやことを教える前提がそこにあると思う。
言い過ぎだが、百姓ができない”先生”に子どもたちの持つ自然を感じることはできないだろう。理論ではつかめない自然法則を知ることも感じることもできないだろう。
理論でも負けないけどね。
そんなこと・・・
百姓が土をいじるしぐさ。
それは子どもをいたわるしぐさと同じだ。
それは自然をまえにして自分ができることを自然に逆らわずに成すことでもある。
頭でっかちにならず、自然と正面から立ち向かって崩れていくことも大切じゃないのだろうか。
と、そんなことでブログ更新もさぼり日々畑仕事の毎日から脱却しつつある。
小冊子も書いた。
「わかる」こともずいぶん進化させていった。
清里からインターネットを通して世界を見る余裕が出てきたところだ。
で、上の写真は何なの?
子どももおとなもみ~んな自宅でそろばんができるように作った教材です。
けっこう問い合わせが来ています。
大きくなり子どもも手を離れたので、かつて諦めたそろばんをもう一度やろう!とされる方・・・たくさんいらっしゃいますね。
良いことだと思います。
指を使うそろばんの知恵をドシドシ活用してほしいと思います。
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今日もそろばんの日。
学習し始めて2週間が終わろうとしているが、みるみるうちに上手になっていく。
繰り上がりのない数字を使った足し算が簡単にできるようになる。
2桁の数字が1から順番に運珠しなければ表現できなかったが、”いっぱつ”でできるようになり、それに応じて繰り上がりがない足し算もできるようになる。
が、問題はこれからである。
というのも、次のしなければならないのは、補数の理解だからだ。
補数という言葉は使わないが、組み合わせて5になったり、10になる数字を考えていく。
この学習の時はそろばんは必要ではない。
5の組み合わせなどを紙に書きながら、珠を使いながらと工夫をしながら補数がすぐに言えるようにすること。
焦ってはいけない。
そろばんをしなくても良いから、指を使ってもいいからとにかく補数を理解できるように努めなければならない。
ここがそろばんができるようになるか?の分かれ道になるように思う。
わたしは、補数専用のトレーニング用紙を作成し、子どもたちが書きながら理解することをやっている。
子どもたちが5とか10を単位とした図を書くことも良い。
その日できても、次のときにできるとは限らない。
焦らずじっくり学習していく。
きょうの新1年生のAちゃん。
繰り上がりのない2桁の足し算をパッと一発で運珠しながらできるようになった。
指使いもなんとなく”そろばんをやっている人”のようになる。
声を出しながら自分がなにをやっているかを確認させながらのそろばんである。
集中力がついてきていることを親だけではなく、周りの一緒にやっている子どもたちも意識しているようだ。
補数学習がもう目の前に迫っていることがわかっているから、気を引き締めてAちゃんをみながらの学習となったのである。
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春になり木々が水を吸う頃が畑の準備作業になる。
山菜の木々を山からとってきて家の庭に植えた。
そして畑では堆肥を入れて種まきの準備をする。
すべてが自然の成り行きにまかせなければならない。
春になり暖かくなると、種を植え、芽が出る。当たり前だけどなぜこのようなことが起きるのかわからない。現象を捉えることが学校では理科などで教えられているが、その根本的な理由はわからない。
何かのエネルギーがそうさせているとしかいえない世界である。
そんな空間に身をおくと自分がその中のひとつにならなければ、うまく回っていかない。
うまく言えないけど、植物の世界に自分から入り込んでいくには、それなりの礼儀を持っていくのだ。別の言い方をすれば植物さんの言いなりである。
うまく歩調を合わせながら立ち回らなければならない。
それが自然。
もうひとつ。
畑仕事をしていると、何にも考えないで体を動かしていることに気づく。
頭のなかが真っ白になる。
ホントになあーんにも考えないのだ。
あぁ、鳥が鳴いている。
と思うことすら考えない。
自分だけの世界なのだが、僕の世界ではないような気もする。
でもね、体を酷使するからあとが大変なのだ。
子ども達を畑に連れて行くとどろんこになってしまう。
それも良い。
土いじりが自然とからみあう最初のあいさつなのだから。
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なんといってもそろばんの珠を使って数字を表すことができるということが子どもたちの目標である。
11
37
29
・・・
このような数字を言いながら子どもたちがそろばんで珠を使えるようにすることだ。
49までできたら、100までの数字に挑戦する。
49までと同じように100までの珠の動きができているかを確認する。
右手の親指と人差し指の使い方ができているかどうか・・・
なにせこのそろばんをやり始めたときが肝心なのである。なんどもなんども繰り返しながら指の使い方を指導する。
そのときは誉めることが一番である。
いままでできなかったそろばんの使い方が、その子にとって当たり前のように使うことができるという事実を子どもだけでなく、親御さんにも伝えながら少しずつだけどできていることを事実として受け止め頑張っている姿をお知らせするのである。
何度も繰り返すので指の使い方も達者になるのだ。
こんなことを繰り返しながら、
5+1=
のような単純な足し算を拡張し、
6+3=
7+1=
と5以外でひと桁の数字の足し算ができるようにする。
3+6=
1+7=
のように上記の逆のパターンの足し算の訓練も必要である。
このような訓練で繰り上がりではない足し算が自由にできることが必要である。
ひと桁からさらにふた桁でも繰り上がりや繰り下がりのない足し算が可能である。
11+35=
のようなケースだ。
100までの数字を繰り返し学習するのもこれができるようにするためである。
が、なにもさん桁までは必要ないであろう。
ふた桁の足し算で自由に珠を使うことができるようになって、ひと桁の繰り上がりに挑戦する。
繰り上がりの計算は、補数の理解が不可欠である。
足し算がどんなものかまだよくわかっていない新一年生に、補数ということがわかるか?
これはこれで試してみたいことである。
そんなことを考えながら、そろばんの次のステップに移るのだ。
そろばんの教授法に関する本はあるのだろうが、どのステップはどういった内容を理解して・・・という段階を踏んだ教授ができているのだろうか。
これは各そろばん塾のノウハウに関するないようである。
わたしもすべてを出しているわけではない。
それでも、ここまで公開している情報はみたことがない。
いろいろな事情はあるのだろうが、子どもたちが珠算に興味と関心を維持しながら教えていくことが第一である。
わたしはここで各情報に加えて新しい試みもしなければならない。
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今日農作業をやりながら考えたことがあった。
ここにも春がやっと来た。木々が水を吸い上げるこのごろ、やることはただひとつ。種うえの準備だ。
わたしも田舎でいろいろな作物を作っている。
趣味の範囲かもしれないが、土いじりをすることでホッとする。
土に遊ばれながら、あぁきょうも終わったという瞬間がある。
畑といってもずいぶん広い。
人にいわせると2反くらいか。
無農薬で子ども達が遊びながらもぎ取りや自然を学ぶ場を作りたい、ということからこの地に移って以来畑仕事がわたしの仕事でもある。
もちろん私塾でもある。
でも何かがちがう。
わたしの塾は学習塾だが、畑仕事をやっている塾だ。もちろん子ども達がするのではないが。
たまにはいっしょに土いじりもする塾だ。
土の感触を知っている人は、ひとのこころも知っているという大胆なことを考えている塾でもある。
自然にまかせた成長は、子どもも同じである。
親やおとなは何ができるのだろう。
じっとこの種が大きくなるのを待つ。
わたしは決してアナロジーで言っているのではない。
土の感触を知っている人は、土から学ぶものを持っている。すでに知っていると言うことだ。
言葉が先にあるのではなく、言葉と結びつく対象が必要なのだ。
これは土を知っているひとしかわからない。
残念なことだ。
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わたしのところに来るたびに、1から49までの数字を珠で表現できるようにする。
まずは49まで。
50という概念を理解することは、5を理解することと同じ、あるいはそれ以上に子どもたちにとって大変なことだ。
なにしろ指が使えない。
自分の体験がない数字なので、数字としてイメージできないからだ。
50台ある駐車場の車とはわけが違う。
だから、無理してたくさんの数字をこなすことより、49までの数字がちゃんと表現できるようになっていくと、自然にじゃじゃ次は50だね。
自然に任せていくことも大切だ。
つぎは、もう一度復習を繰り返す。
49までの数字で、たとえば「ご破算で願いましては・・・38」と言って、38の珠を作る。23,19,45・・・・のように珠を作ることができるようになる、しかも一発で。
そして、5+3=
5+2=
・・・・・
と足し算の方法を復習する。
ここまでできるようになるには、数時間で大丈夫。
5というひとつの珠と1~4までの足し算で、足すということをわからせるのだ。場合によっては、動物や自動車など例えで理解し、次に数字で理解することもあると思う。
こんどは、2+5のように、逆の足し算をやってみる。ちゃんとできるかな?
じつは、5+3のような計算の場合、最初の5を運珠するときに、いきなり5を作らず、1,2,3,4そして5と珠を運ぶことが多い。
だから、2+5などは、けっこう難しいのだ。そろばんを使った場合。
ここらあたりの足し算を何回もかたちを変えてだしながら、「ご破算に願いましては・・・」でそろばんをリセットし、次の動作に入る習慣をつけさせるのだ。
この言葉は良い!!!!
子どもたちがすぐに集中する”魔法の言葉”である。
子どもたちがそろばんをジャーとリセットするときの指使いとそのときのこどもたちの目が、わたしにはとっても嬉しい瞬間だ。すごくいい目をしていることに気づいたかな?
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新1年生たちの珠算教室が始まった。
まだ数を知らない、と思っていたのだが、そんなことはない。1から100くらいまでちゃんと言える。
まず最初は、そろばんで1から10まで珠運びができるようにする。
1,2,3,4
ここまでは簡単だ。
でも、5はけっこう難しい。
5だと言っても、珠は1個しかないのだ。1個の珠が5だという概念を実感させなければならない。
どうするか?
わたしは指を使う。
指を使ったらだめだという大人は多い。なぜだろう?
指は計算のもっとも初めにすることだと思う。
自分の体を使って計算する始まり。
5本の指を1つの珠と同じことを理解するまでに時間を要するが、ここは抽象的な概念を理解するというちょっとした発想の飛躍があるので、何度も繰り返しながらそろばんで5を作る作業を行う。
指が5本でひとつの腕と結びつくということを実感させるのだ。あくまで身体との結びつきを大事にする。
指は大切な道具だ。
5ができたら6,7,8,9と運珠していく。
6は5と1
7は5と2
8は5と3
9は5と4
この段階では、6は1と5・・・はやらない。
計算としてはできるが、あくまでそろばんを使った計算なので、1から順番に珠を運べることが最初の目標なのだ。
だから、まずこれを繰り返す。
「ごあさんに願いましては・・」ということばでパブロフの犬のようにそろばんをジャーとはじいていく風景はなんともいえずおもしろい。
この子もそろばん人間になったという喜びだ。
そろばんをやってきた子どもたちの中学時代、高校時代をみてきた。
やはりちょっと違うようだ。
この新1年生たちも自分の能力を駆使することだろう。
それが楽しみだ。
珠算学習はいま始まったばかりなのだが、新1年生たちの学習風景から珠算教育の本質が見えてくると思う。
最後に、がんばれ乙武さん!
スポーツの教育もめざすところは同じですよね。
体が知るということが前提の「わかる」・・・
わたしは「わかる」ということは経験と知識の結合だと思って、実践している。そうするとその仮説を裏付けるような結果が出てくる。
学ぶという動機は、体を動かしながら体が追い求めていくこととのアナロジーをもっている。
それぞれの現場が子どもを中心とした体験をしていくしかないのだ。
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ここで珠算式暗算法の極意をまとめておこう。
暗算ではあるが、あくまで珠算が基本になっている。
だから珠の動かし方があたまのなかに入っていなければ珠算式暗算はできない。
実は珠算のやり方は珠算塾でもいろいろある。わたしのやり方が一番だとは思っていないが、みな経験をとおして最善のやり方を教えていると思う。
ただ中には何も教えないでそろばん塾と言っているところも中にはある。わたしのところに来る親御さんには”具体的に”注意するように言っているが。
話をもどして、珠算のやり方を十分マスターしながら暗算を併行してすればいいと思う。
しかも、簡単な問題をする。たくさんすることがヒケツである。
では、珠算式暗算のやり方をならべておこう。
内容が知りたい?
と思う方は、直接連絡をいただければお教えできると思う。
でも、ちょっと時間が必要ですが・・・今まとめていますので。
●珠算を思い浮かべながらの計算<あたま計算>
●補数計算<いくらで10?計算>
●足し算計算
●引き算計算
●読み上げ計算
●パッと計算
そこで、今日の”毎日が教育”
今日も新1年生がそろばんにやってくる。
そこで、
「そろばんは計算だけでなく、姿勢、返事もじょうずになる!」
そろばんをする楽しさを体験しながら徐々に自分でできるよう、気持ちを伝えて行かなくちゃ!
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わたしも昔はサラリーマンだった。
毎日定時に会社に来ても、定時には帰れない。帰りたいとはあまり思わなかった方だった。今日の仕事をやり終えるまでは、やらなきゃ、と思いながらやっていた。
プロジェクトがある時などは12時だろうが2時だろうが、6時だろうが(もちろん朝の)やっていた。
会社には仮のベッドもあり、疲れた時は仮眠くらいはできる。
でも、わたしはどんなに遅くなっても、どんな朝になっても必ず家に帰り、子どもの顔を見て出勤した者だった。私にとってせめてもの家族に対する愛情表現だと思っていたから。
そんなことをしながら、悩まないはずがない。
サラリーマンで出世していくのは、そんな悩みを打ち消し、家族もある程度犠牲にでき、それでも会社の仕事が優先できなければならないと真剣に考えていた。
仕事をするということは、自分のキャリアでもある。時間と比較することは考えようがなかった。
いま、サラリーマンを辞め、子ども達を接しながら、ALTと話をしながら、自分の仕事を完結できている。
このことと、サラリーマンの仕事と何がちがうのだろうか?
そんなことをよく考える。
いまは家族といつもいっしょにいて、サラリーマン時代と同じ、あるいはそれ以上の収入も得て、・・・でも私はキャリアを蓄積することが出世のためではなく、自分の完結した仕事のためにやっていることとのちがい。
それはこういうことだと思う。
わたしの人生。
家族のそれぞれの人生。
会社にいる人たちの人生。
いずれにしても、わたしの人生、彼の人生、彼らの人生は、その人が主人公になった物語でなければならない、ということ。
どんなことをしていても、いつも自分という存在が自分の人生の中心にいる。
主人公になって日常生活を送っている。
でも、他人との関係では、自分の主人公の世界が崩れることがある。
上司に何か言われたり、お客さんから苦情を言われたりすると、自分が思っていたこと、考えていたことが否定されたような気になる。
そんなときは主人公の座から追われ、誰か知らない他人が主人公に取って代わっている。
自分の人生なのに、・・・・と自己の存在の否定があるのだ。
わたしはけっして大げさなことではないと思っている。
主人公の座に居座っていられる時は、わたしの心は落ち着くだが、いったん自己の否定だと感じてしまえば、自分の人生は何だったのか?自分が主人公ではなくなったことへの不信感が自分を覆い尽くしてしまう。
今のわたしは主人公の座を失わないような要領の良さは必要ではない。
自己が否定されるようなことをがあっても、自分の人生を誰か知らない人に奪われない術を知っている。だって、それがための出世など必要がないからだ。
そして、ほんとの自己完結的な仕事ができるようなシステムもで
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